かなしみがふりつもる雪原
部室から男子を追い払い、きゃっきゃとはしゃぎながら着替えを済ませた私たちはそのままのテンションで中庭に飛び出した。 私はついこの間購入した一眼レフカメラを大事に抱え、キャラクターに扮した加奈子にファインダーを向けた。頑張ってバイトして節約してようやく購入できたカメラ。その被写体として加奈子が一役買ってくれたのだ。せっかくだからコスプレをと。12月だと言うのに露出の多い衣装に頭が下がる。 「さん何のバイトしてんだ?詳しくねえけどカメラって結構するんだろ?」 彼女たちに追い出されていた男子たちは冷たい廊下から暖かい部室に戻り、窓辺で中庭の様子を見ていた斑目が言った。 「いろいろ節約して貯めたみたいですよ」 笹原が答えた。 「斑目さんだって同人誌買うの少し控えるだけですぐ貯まると思いますけど」 「ばーか。俺はオタクライフを満喫するために生きてんの」 そう言ってらしくもなく劣等感を覚えた。今まで自分の趣味を堂々と貫いてきた訳だが、もうすぐ就活だってしなくちゃいけない。既に成人して世間で言うW大人Wではあるが、まだ学生で子ども気分。成長が必要な時なのかもしれない。 一緒にオタクらしく秋葉原の街に出掛けていたさんの後姿が、なんだかとても遠くに見えた。手に抱えられる大きさの精密機械を手に入れただけだと言うのに。心なしか痩せたようにも見えるのは、さっき笹原が節約していると言ったのを聞いたからだろうか。 「斑目さんずっとちゃんのこと見てる」 ポーズをとりながらカメラ越しに加奈子が言った。彼女は私の気持ちを知っている。 「きっと加奈ちゃんのこと見てるんだよ」 「そうかなあ。でもぼーっとしてるようにも見えるかも」 日向ぼっこかな。加奈子があまりにも斑目のことを言うものだから、は振り返った。部室の窓辺に意中の相手の姿を見つけた。 「あそこ、日当たりいいからあったかいもんね」 もぼんやりと答えた。後ろで加奈子がくしゃみをして、そろそろ入ろっか、と言うので、は慌てて謝って駆け足で校庭を後にした。 「やっぱり痩せたかな」 くるりとこちらを振り返り見上げた彼女は加奈子を追いかけて走って行った。少し遠くから見た彼女の顔はいつもの愛らしい柔らかそうな頬がわずかに痩けたように感じた。思わず零れた声に、笹原は「何か言いました?」と尋ねるものの、それを誤魔化す手間を消すように、「寒かったあ」と言いながらと加奈子が部室に戻ってきた。 「また着替えるでしょ。俺たち外行ってるわ。ついでに何か温いもん買ってくる」 斑目は財布を手に取ると一番に部室を出た。その後に続いて他の男子も部室を出て行き、冷たい鉄のドアが閉められた。 「斑目さん、優しいね」 「うん。ああいうことされると余計に意識しちゃうよ」 加奈子は早くも手慣れた様子で、手の届く位置のホック類を外し始めていた。は恋心にぽかんとさせられながらも、そっとテーブルの上にカメラを置いて、着替えを手伝った。 「私、ちゃんがカメラ好きって全然知らなかった」 「まあ、なんか気まぐれだよね」 「気まぐれ?」 「もうすぐ斑目さん就活始まるでしょ。みんなと今みたいにいられる時間があと少ししかないって思ったら、心に収めるだけじゃ足りなくて」 髪飾りをほどきながら加奈子が寂しそうな顔での顔を覗き込んだ。 「やっぱり気持ち伝えないの?」 「うん。伝えて何を望んでる訳じゃないし、気まずくなっても嫌だし」 今のままで十分。きっと今だけの限られた時間だから愛おしいと思うのだろう。人間は贅沢で鈍感だから、永遠の中にいると苛立ちを覚えるものだ。 張り切っていろんなところに写真を撮りに出掛けたからか、早速レンズにゴミが入ってしまった。人に物事を聞くことが苦手な私は、宿題だったり、何か困った時は自分でできるだけのことをする質だった。今回も早々とトラブルが起こったことに恥ずかしい気持ちにならない訳もなく、購入した電気屋にカメラを持ち込むのにしばらく躊躇した。 しかしせっかくバイトを頑張って頑張って購入した大事なカメラだ。もろもろの努力や愛を無駄にする訳にはいかない。 意を決して電気屋の店員に声を掛け、愛機を預け、まだ緊張に息がつまりそうだった。呼吸を整えようと、店の電動ドアをすり抜けたところで深呼吸をした。吐く息が白く、吸い込んだ空気はとても冷たく乾いている。 「さん」 思いもよらない人物の声がして、せっかく深呼吸をしたのに再び呼吸が乱れそうだった。乱れるどころか、呼吸の仕方を忘れてしまうくらい、驚いた。 「斑目さん」 彼はいつもの格好にリュックサックを背負い、ショッピングバッグを持っていた。彼の吐く息も白い。 「さんも買い物?」 「いえ。カメラがちょっと調子悪くて預けてきたんです。斑目さんは?」 「俺はー、買い物、かな」 彼は隠しごとや言いづらいことがある時、いつもまどろっこしい喋り方をする。私の場合、不安に思うだけなのだけれど。 「それが戦利品ですか?」 手に提げたショッピングバッグを指差すと、奪う訳でもないのに彼はそれを胸に抱えた。あからさまな拒絶反応に好奇心がかき立てられる。いや、これは、その。そういった類の言葉を連ねるだけで、肝心なことは一つも言わない。私は意固地になりそうだった。そんな度胸があるなら、なりたかった。甘えたかった。 私はきっと寒さと緊張の疲れからいつもより大胆になっていたんだと思う。斑目さんの腕からショッピングバッグを奪おうと腕を伸ばした。しかし、それも拒絶される。彼は申し訳なさそうな表情で、伸ばした腕のやり場に困った。コートの裾から出る肌が震える。 「ごめん。心の準備ができてから渡そうと思ってたけど、まあいいや!」 そう言って彼は予想外にもショッピングバッッグから赤色のタータンチェックのマフラーを取り出して私に手渡した。今まで生きてきた中で一番の期待をしてしまう。 「今日ってクリスマスでしたっけ」 「そんなボケいらんって」 「だって理由がないじゃないですか」 既に嬉しさで涙が溢れそうだった。彼もそれをわかっていてなのか、頬を指でかきながら私から視線を逸らす。眼鏡のレンズに電気屋のネオンが反射した。 「理由は、あれだよ、最近痩せたみたいだったから寒いかなと思って。服にしようか迷ったんだけどセンスねえから。マフラーならみんな形状一緒だし柄もそれなら定番っぽいしきっとさんに似合うよなーって」 いっきにそう言った彼に、愛おしさが止まらない。思いを告げようと口走りそうで怖い。 「じゃあ、今度一緒に服買いに行きましょ」 「え?」 「斑目さんはどんな服が好みですか?」 勝算があるのに気持ちを伝えないのは、彼から告白して欲しいからじゃない。気持ちを伝えなくても一緒にいて、彼の愛情を感じることができる今が幸せだった。これって付き合ってるのかな、的なことをそのうち言われるんだろうか、なんて考えてにやけが抑えられない。 |