※モチベーションが維持できなかったので未完のまま中断してます……
※はじめにお読みください。
原作でのジュニアは吸魂鬼に魂を吸い取られてしまいますが、この連載ではヒロインがジュニアを助けます。
その他にも原作に忠実でない個所が多々ありますので、原作に重きを置いている方は閲覧を御控え頂けますようお願いします。





やっぱり私特別なんかじゃなかったんだ

 
 夜空から降るように、一羽のフクロウが舞い降りてきて、寝巻姿でそこにしゃがんでいた私はすぐにそれに気がついた。フクロウが窓辺に降り立ち、そのくちばしにくわえられた手紙を受け取り、たまたま寝る前のカモミールティと一緒に食べていたクッキーのかけらをやった。フクロウは表情こそ変えないが、いつもの食事とは違う甘さに驚いているのか喜んでいるのか。手紙に書いてある宛名を確認している間に、もう飛び立っていった。は宛名が自分であることを確認し、窓辺から立ち上がって引き出しからペーパーカッターを取り出した。すーっと刃を通すと、封筒と同じ色の紙が中から出てくる。それを見越したかのように、部屋のドアが開けられる。この人は、自分の部屋に入る時は必ず返事を待てと言う質なのに、人の部屋に入る時はノックすらしない。
 「フクロウがきた、君に」
 「ドラコ……ルシウスさんの息子から」
 まだ読んでいないから内容はわからないけれど、と言いながら二つ折りにされた手紙を広げて伸ばしていると肩越しにそれをするりと奪われる。それに彼はさっと目を通して、また私の元に手紙を戻す。その仕草はとてもあっさりとしていて、自分の知りたいことが済んでしまったものだから、放るように返却するのだ。も手紙に目を通し、そこにある“クィディッチ・ワールドカップ”という言葉に、世間様はそのようなことで頭がいっぱいなのだと思った。そう思って、まるで、自分たちがこれからしようとしていることがクィディッチのワールドカップよりもっとエンターテイメント性に優れているかのように自負しているのではないかと、少し笑いたくもなってしまう。実際にことを起こすのは私ではなく、もう部屋から消えてしまった彼なのに。私は、もちろん彼の自由を望んでいたし、彼がこの屋敷のなかで父に幽閉されて、私やウィンキーに世話をしてもらって時を過ごしていくのを可哀想だと思った。それでも、彼が自由になってしまえば、今までのように彼は私の傍にいてはくれない。私がいくら彼の傍にいたいと願っても、そうはなれない。だって、彼は私なんかよりもヴォルデモート卿をお慕いしているのだから。比べ物にもならい。さっきまで見上げていた夜空だって、雲によって一つの小さな恒星が隠れてしまったからといって、この星に届く光というのはなんら変わらないのだから。私たちの世界で、それはマグル界だって魔法界だって同じことで、太陽や月と言えるものは一つしかないもの。


 
 私の左手は手首から消えていて、でもこの薄暗さの中では何も気にならない。右手にはウィンキーの手を引いて、消えた左手には彼の手が握られている。父はどこかへ行ってしまって、そもそもクィディッチなんて興味はないのに、役人は大変だと思った。それでも父にだって優しさはある。本当の父ではないけれど、同情と感謝を私にくれる。
 「
 真正面から誰かに名前を呼ばれ、自分の視線が俯いていたことを知らされる。見上げるとドラコがそこにいて、その後ろには両親もいた。はまず両親に向けて会釈をし、突発的にウィンキーの手を離した。ウィンキーはすぐに透明マントに隠れた彼の傍に寄ってくれて、私は何気なくドラコの方へ歩いて行った。
 「手紙の返事を待ってたのに」
 「ごめん。体調が悪くて忘れてた」
 「いいんだ。は父上の招待で?」
 「うん。私はあんまりクィディッチに興味はないんだけど、ウィンキーは高所恐怖症だし。付き添いの付き添いかな」
 そう言ってウィンキーと彼がいるであろう場所を振り返るが、もうその姿はなくて、少しだけ焦る。でも、まだ試合も始っていないし彼だって慎重に行動しなければまた元通りだってことくらい分かっているはず。そう言い聞かせて、ドラコに手を引かれ、彼の両親のところへ招かれた。再び挨拶をし、この夏のこと、今年度ホグワーツで起こるある事についてを話した。ドラコは無意識からか故意的か、私の左手を握っていた。ウィンキーと繋いでいた右手には触れてくれなかった。こういうところが、私のいる階級の人には当たり前なのだと知らされる。
 貴賓席に上るとそこにはウィンキーが既にいて、それよりも先にハリーたちが目に入った。ハリーたちは私のことをドラコほど嫌ってはいないけれど、ドラコと一緒にいる私を見ると、どうしても同類だと思えてしまうみたいで、決して良い顔をしてくれない。私はそれが淋しくてドラコに別れを告げ、手で顔を覆うウィンキーの肩に優しく触れた。
 「大丈夫?」
 「様……ウィンキーは早くテントにお戻りになりたいのでございます」
 すぐに戻れるから大丈夫、ゆっくりしていて。私はウィンキーが安心できるようにちょっと魔法をかけてあげて、そっとウィンキーの座っている席に手を伸ばした。そこで人の肌と温度にぶつかって、その手を握った。マントの下でどんな顔をしているかはわからない。それでもバーテミウス、私はいつもあなたの傍にいるから。あなたがその名前を嫌っても、私にとってただ一人のあなたのその名前を呼び続けるから。聞いていて下さい。
 ルード・バグマンの声が轟いた。試合開始が知らされた。


 
 誰にも見つからないように、一番最初に席につき、一番最後に席を立った。それに私はクィディッチに興味がないものだから、その時間はとてつもなく長く感じた。テントに戻って冷めてしまった紅茶を淹れなおしていた。そうしてまだポットの中で紅茶葉から濃い琥珀色が滲み出始めたばかりだった。私はテントに戻ってからまだ椅子に腰かけてすらいなくて、疲れていた。それなのに外が騒々しくなって、透明マントを脱いでいた彼がマントを着て、テントの入口から外の様子を伺っていた。そうしてテントの入り口がバッと揺れ、その後をウィンキーが「坊ちゃま!」と叫びながら飛び出していった。私は思わず湯を注いで暖めていたティーカップを落としてしまった。絨毯の上に落ちたカップは割れはしなかったが、温かい湯が跳ねて足にかかる。
 もウィンキーに続いて彼を探そうとテントを出た。しかし透明マントを着てしまっているし、人々がパニックを起こして走り回っているものだから、見つけるのは困難だった。そんな中に見えたのは、何人かの魔法使いが夜空に杖を向け、その先には何人かの人が浮いていた。いくつかのテントが崩れ、いくつかのテントには炎があがっていた。こんなところで彼と離れ離れで、こんな状況で、もしものことがあったらどうすればいいのだろう。
 ずっと走っていて足もくたくたになり、息も苦しくて、このまま夜が明けた時、家に帰って父が慌ただしくした形跡だけが家にあって、口の付けていない紅茶と朝食が残っていて、その隣に置かれた新聞だけがくしゃくしゃになっているのを思い浮かべた。そこには死んだはずの囚人がクィディッチ・ワールドカップに現れたこと。そして捕まったこと。そんなことが書いてあるのだ。それを想像するだけで、本当に、彼ともう最後になってしまうのかもしれないと、恐怖で叫びたくなる。立ち止まって上着の裾を握りしめた。涙が零れそうになって顔をあげた。するとそこに一人の影があって、天に杖を向けていた。しかし先程の集団とは雰囲気が違う。は再び走り出した。
 「だめ!そんな軽率なことをしたらまた!」
 「邪魔だ」
 そう言った男の声はまさしく彼で、を突き飛ばし、彼女は草の上に倒れた。思わず滲んだ涙と視線の先で、彼が天に杖を向けて呪文を言う。はもうここから立ち去らなければいけないと危機感を感じ、草の地面を手と足で蹴って、まだ杖を天に向けて余韻に浸っている彼に飛びかかった。そして、杖を投げ捨て、姿くらましした。


 
 「インペリオ!」
 は家に戻った瞬間、腰から杖を引き抜いて彼に魔法をかけた。それは許されざる呪文。それでも、こうでもしないと彼はどこかへ行ってしまうし、彼の力を私一人では抑えきれないと思った。いつになったら父は帰ってくるのだろう。きっと空に人を釣り上げていたのは死喰い人だし、彼が打ち上げたあの闇の印。そのことであの場にいた魔法省の役人は確実に今頃慌ただしく犯人探しをしているはずだ。私一人の力では彼を止められなかった。早く助けがほしかった。
 彼は私のかけた服従の呪文によって今は大人しく絨毯の上で横になっている。私も彼も姿現わししたままの格好でどれくらい横になっていたのだろう。こうした時の為に父から教えられた術。それでもまだ未熟な魔女である私には少し体力が続かなかった。じきに私はその場に沈み込んでいった。


 
 父はそれほど私を叱ったりはしなかった。むしろいつものように感謝してくれた。ウィンキーが解雇されたと聞いて、真実とは違うけれど、父も私もそれはわかっていた。それでも一番最悪の事態は回避できたことだけが、私たちを安心させていた。
 「こんな勝手な場所に君をつれてきて、ろくでもない息子の面倒を看させて申し訳ない」
 ことあるごとにそう言って謝る父。その父が黙って、今まで以上に無駄なことをしない人間になってしまったのは、ある深い夜のことだった。
 父に服従の呪文をかけられている彼に恋しさを感じて、いつもはハーブティを飲むのに、濃い紅茶を淹れて窓辺に座っている時だった。とある訪問者があり、父が出迎えた。それからすぐに何らかの物音がして、彼の声が居間から聞こえた。私は居間に降りて行ったものの、突如とてつもない悪感に襲われて全身が震えてそこから動けなくなった。いつもと違う雰囲気をまとったバーテミウスが居間に跪いている背中が見える。その向こうで何とも不清潔な小男に抱かれた人間とも動物とも言い難いもの。それが闇の帝王であると、私は身体に感じる恐怖で理解した。
 「この娘は」
 闇の帝王が口を開いて、その音に震えあがった。しかもその意識が自分自身に向けられている。自分から言葉を話すべきか、黙っているのが最良か、考えを巡らすも全て恐怖を前に役に立たなかった。
 「十四年前に私が襲った夫婦の娘です。気の毒に思った私の両親が引き取ったのです」
 彼の口からそのことを聞くのは初めてで、なぜかとても苦しくなった。私が生まれた年のことで私には両親の記憶も、当時のまだ若かった彼がそんな恐ろしいことをしたのも記憶にはなかった。気がつくと私は居間に続く階段の途中でその場に崩れ落ちていた。目の前の人物や行われる対話が、まるで映画を見ているようで、一人掛けのソファに静かに腰をおろしている父はエキストラに見えた。
 「我々に因縁があるのだな」
 「いえ、彼女は平気です。彼女は私を献身的に世話してくれました。先日のワールドカップでも私をここまで逃がしてくれました」
 今まで父の服従の呪文にかかっていた彼から、初めて彼自身の言葉を聞いたかもしれないと思った。それが私に対する感謝も織り込まれた言葉で、闇の帝王に私を認めさせようとしている擁護。私は階段から立ち上がってよたよたとバーテミウスの隣に跪いた。帝王の声がますます近くで囁いた。私の為にあらゆる危険を冒す覚悟があるかと。バーテミウスも私も断ることはなかった。快く受け入れた。私は、彼からの服従の呪文もなしに服従した。目の前にいる恐怖の塊のために身を落とす彼をそれから守るように。私が彼を想う理由は、同情だったのかもしれない。


 
 ベッドに入り、うつらうつらしていた。誰かが部屋に入ってくる音がしたが、はそのまま寝ることに意識を集中させた。あの人がここに一人でくるなんてことは無理であるし、その連れの男“ワームテール”が来ることも考えられなかった。彼女の部屋にきたのがバーテミウスだからと容易に想像できたから、彼女は黙って寝ていた。彼は枕元にきて、思いがけず額に唇が触れた。
 「母がしてくれたように、君は毎晩こうしてくれていた」
 それでもは黙って、瞼もあげずにいた。彼が部屋から出て行って、その後に玄関のドアが開いて閉じる音がした。彼女はそこでようやくベッドから抜け出し、いつもの窓辺から庭先から道へと続く通りを見た。そこを二人の影が歩いて行った。真夜中のことだった。


 
 ドラコの隣にいるはほとんど何も話さなくて、目の前の料理も、少しずつ口にして、これからデザートででてくる大好きなプティングも喉を通りそうになかった。昨夜、彼からの唇を感じた額にはもうその熱は残っていない。せっかく彼が呪縛から解かれて彼自身の瞳で、彼自身の感受性で彼女を見てくれていたというのに、その嬉しさもあの恐ろしい存在の陰に覆われ、すぐに学校が始り、巨大な恐怖の中に淋しさを感じないではなかった。むしろ、彼女の小さな弱い心は、彼の支えをなくして淋しさに恐怖を感じていた。自我を取り戻した彼は、彼女が知らない彼で、何をしでかすか、未知のことばかりで。それに今はあの人がいる。彼の唯一の想い人。ここにいる大勢の魔法使い達はそれをまだ知らない。隣のドラコも自分だけが知っているかのように三大魔法学校対抗試合のことを話しているが、この先、彼もどうなってしまうのだろう。父親は死喰い人の過去がある以上、今更その縁は切れないだろう。そうなると彼も必然的にその道を辿ることに。自分がこんなことを心配するのは、本当に余計な御世話だと、は思った。
 そんな不安をかき消すように甘いプティングを頬張ったから、お腹が少し重く下の方に落ちていた。みんなは三大魔法学校対抗試合のことでざわついているようだった。誰が立候補するのか、どんな競技がホグワーツで行われるのか、ダームスラングやボーバトンの生徒がいったいどんな人たちなのか。そんな会話を聞きながら、はプティングでもかき消すことのできなかったやり場のない不安に、早く暖かいベッドに入ってうずくまりたかった。彼女には、抱き締めてくれる友達など、どこにもいなかった。
 廊下を曲がってひとりになったところで何か堅くごわごわとした塊に襲われた。とてつもない恐怖が身体を襲って、悲鳴どころか抵抗もできずに全ての機能が停止したかのように思えるのに、状況をいち早く察知したいという洞察力だけは働いていた、彼女はすぐに、誰かに抱え込まれて小さなところに連れ込まれたと理解した。それが闇の帝王でなければいいと、願った。そして、今まで目を閉じていたのかと思うくらい、再び視界がはっきりした時に、目の前にいる酷い形相の人物に気がついた。それはぼんやりと記憶にあったが、さっき広間で新たな闇の魔術に対する防衛術の教師として紹介された男だった。遠くからではわからなかい、皺だったり傷跡だったりが近くではよく見え、なるべく直視したくないと思わせた。なにより、片目にはめられた眼帯とも呼びがたい義眼のせいで。
 「
 その声に耳を疑い、しかし確かにそう呼ぶのは目の前の醜い魔法使いで、彼女は混乱した。アラスター・ムーディが彼女の手を握る。
 「あなたなの?バーテミウス」
 その問い掛けにムーディは頷き、彼女は更に混乱した。本当に彼がバーテミウスならどれほど嬉しいだろう、恋しいだろう、愛おしいだろう。しかしこの醜い形相の中にいるのが彼だとは到底思えなくて、それでも、握られた手を包む温度に彼の思いを感じないではなくて。それよりも、アラスター・ムーディという人物との関わりのない彼女が、いきなり彼に呼び止められる訳もないのだから、きっと本当に、彼は“彼”なのだろう。
 「どうしてこんな」
 「ポリジュース薬でなりすましている。あの方のために、ここでハリー・ポッターを誘導する」
 は、今はバーテミウスの形ではないものの、彼を抱き締めた。思い切り抱き締めて、涙が溢れるのも無視して抱き締めた。彼はそれに何も動じた様子はなく、それを求めていた訳ではなくただ一方的に不安と恐怖と困惑で弾けてしまいそうな心のやり場を探して、彼女は彼を抱き締めた。自分の静かな嗚咽と、遠くから城の壁を響いて伝わる生徒たちの声が聞こえるだけった。
 「怖くて仕方がないの」
 「部屋にくるといい。これからのことで君にも話さなければいけないことがある」
 声だけは彼なのに、ふと見上げたところにある顔に、は接吻をしたい気持ちがどっと薄れた。あの高貴な顔立ちの彼がなつかしい。そのごつごつとしたいくつもの傷を負った手を強く握って、彼女は寮へと戻った。姿は違うものの、彼とまた同じ屋根の下にいられる。不安や恐怖がとても軽くなった気がして、もう少しプティングを食べたくなった。


 
 磔の呪文を受けたクモはわなわなと震えていて、瓶に戻された。授業が始まった時の雰囲気はどこにも残っていなくて、ムーディの最後の質問にハーマイオニーの震えた手が、空気を僅かに温度のあるものに戻すのだ。ハーマイオニーの囁くような返答と、ムーディの実演。どの呪文よりも一瞬で終わりをみせたその呪文ほどの影響力はなく、対象がクモだとはいえ、この教室にいる誰もが持っている木の棒ひとつでこの業なし得る。胸から喉あたりをざわつく何かは、涙も怒りも生み出さなかった。
 がバーテミウス(今はムーディの姿をしているが)の部屋に行くと、そこにはネビルがいた。ネビルとはあまり話したことがなかった。むしろ話したことはないと思う。ネビルは模範的な大人しくて少し抜けた生徒で、そういった点では自分と似ているなと、は思っていた。それでも彼にはグリフィンドール生らしく友人が多くいる。ネビルは彼女に小さく挨拶をして、バーテミウスと一緒に見ていた本を閉じて部屋を出て行った。彼女は部屋のドアが完全に閉じても、それからしばらくは黙ってそこに立っていて、まだ見慣れない姿のその中にいるバーテミウスの本当の瞳を見つめた。
 「本当に苦しみを与えたいという気持ちがなければ、あの術は通じない」
 が言葉を発する前にバーテミウスが口を開いた。
 「授業で話したことに嘘はなに一つはない。しかし君には個人的に伝えたいことがある」
 バーテミウスはそう言うと、授業で出てきた瓶よりも少し大きい瓶を棚から下して、その中からとぐろを巻いた蛇を出して、彼女の足下に放り投げた。彼女はただただそれに怯むだけだったが、目の前の男は私にこんなことで怖気づくようなことは望んでいないと、容易に想像できた。そして何を望んでいるのかも。
 「武器解除呪文や失神呪文では甘い。僅かな同情も通用しない事態だ」
 「貴方はあのクモ以外にも、ああしたことがあるの?」
 例えば、私の両親をそうしたの?と、彼らの間には、その言葉がなくともそう聞こえているに違いなかった。はバーテミウスがそれを想像することを思い、彼は彼女がそう伝えたかった心を思い、今までに二人の間で起こったことのない、とても人間的な感情が流れ合っていたように見えた。ネビルをこの部屋に招いたのは、誰よりも今日の授業に衝撃を受けていたから、慰めているのだと、彼の優しさが見えたように思えたのに、と。彼女はやはり彼は目覚めても冷たいままの彼なのだと思った。それでも彼女という少女は彼しか慕う人間がいなかったのだ。彼女はローブをめくって腰から杖を抜き、今まで何の動きもなかった彼女の動きに警戒を見せた蛇にその杖の先を向け、死の呪文を唱えた。
 緑の閃光が走り、彼女は涙が溢れるのを感じた。愛おしい彼とこうしてでしか接し合えないことに、恐怖に。自分の思っていることは決して悪いことではないのに、この世界では弱さになってしまうことに。目の前の彼は、彼女の少女らしさを肯定するだけの優しさを持ち合わせてはいなかった。


 
 ダームストラングとボーバトンの生徒がやってきて、ホグワーツの雰囲気はいつもと同じではなかった。真新しい、他の国で同じように魔法を教わっている他校の生徒に、ホグワーツ校の青年少女たちは、寒さが身にしみ始めたこの季節でも熱さを保っているようだった。のような目立たず、自分から行動も起さないような生徒は、ダームストラングやボーバトンの生徒と廊下ですれ違っても、お互い、何の会釈も挨拶もしない。彼女はそんなことなどどうでもよかった。一日一日が過ぎていくに従って、彼女は不安で苛立っていた。こうして今日のようにイベントがあると、それが区切りを現しているかのようで、早く意志を固めろと迫られる思いがした。
 焦点をどこにも合わせず、俯き加減で彼女は次の授業の教室を目指していた。前から高い声で笑う女生徒の集団がきて、無意識に顔を上げた。ホグワーツの生徒が中庭にいるダームストラングの生徒を見てニヤニヤして笑っている。とても下品に思えた。再び目を伏せようとして視線を落としかけた途中、女生徒の後ろにあの人を見つけた。彼は少し影になったところでこちらをしっかりと見ている。はそこから廊下を降り返そうとはせず、目を伏せてその先を進んだ。そうして、彼の前を通り過ぎて廊下を折れると、腕を掴まれる。
 「離して。その醜い姿、とても直視できない」
 人がいなくなったところではバーテミウスの腕を振り払った。彼にとってこんな態度は始めてとったかもしれない。姿の変わってしまった彼は今までの彼とは思えないし、服従の呪文から解かれたことでも、今までの大人しい彼とは違っていて、今は闇の帝王に使える一人の死喰い人として立派に、とても立派に任務に就いて、彼女は彼のその任務の中のたった一人の助手として──彼女が腕を振り払ったことには何も言わず、彼は汚らしいコートのポケットから一枚の紙切れを取り出した。そこには“ハリー・ポッター”という名前が書かれている。こんな、自分と同い年の、少し云われがあるだけで、ただの少年に躍起になる大人たち。少しは嫉妬したこともある。良いこと悪いこと含め、何も持ち合わせていないのにみんなの注目の的で。あほらしい。みんなあほらしい。あんなに慕っていた彼が、こんなにもあほらしい。あれほどに慕っていた自分が、とてもあほらしい。彼との日々で私が想っていたこと全てが恥だと思えて、あの恋心や愛おしさでさえ今では嘘のように思えて。それでも自分の感情が嘘だったなんて信じたくなくて、あの頃の彼を渇望した。それでも、彼自身なんてものは最初からどこにも存在しなくて、少なくとも私の目には、何も映っていない。


 
 「バーテミウス」
 は少しの睡眠欲を抱え、寒さに堪えながら、広間で彼が来るのを待っていた。広間の扉が音を立てて開く。少しの沈黙の後で、彼女は彼を呼んだ。彼の手には、日中に見せられた“ハリー・ポッター”の名前が書かれた羊皮紙。彼女は身を屈めて座っていたベンチから立ち上がり、冷たく冷え切った石の床を進んだ。バーテミウスは身動き一つしなかった。
 「それを入れては駄目」
 「君はあの人が下さった命令を受け入れたんじゃなかったのか」
 「受け入れたつもりだった。あなたの為にも」
 彼女はかじかんだ指で、スカートのポケットに挿してあった杖を握った。バーテミウスはそれも無視して、広間の入り口からゴブレットの方へと歩き出した。それを見て彼女は彼に杖を向けた。
 「あなたの為にも、あなたを救いたいから。でも、あなたはそれを望んでいない」
 杖を向けられてもなお歩き続ける彼に、どんな呪文を突き付ければいいのか、は考えた。
 「私はあなたのことを慕っているから、お節介だって言われてもあなたを取り戻したいの」
 しかし彼女の言葉が彼の耳に届くはずもなく、彼はもう、ゴブレットの目の前まで来ていた。彼女は震える声で、彼に向けて失神呪文を唱えた。しかし、何が起こったのか、彼女は一瞬、自分が殺されてしまったのではないかとも思えた。しかしすぐに回復した視界が九十度回転していて、冷たい床に頬が当たっているのを理解した。そしてその視界の先で、青白い炎を立ち昇らせているゴブレットに、バーテミウスが羊皮紙を入れるのが見えた。彼の顔ではない顔がこちらをちらりと見て、その冷やかな視線に身体全部を引き裂かれたように思えた。苦しかった。泣きたかった。泣きたいのに涙は出ず、ただ耳障りな、自分でも聞いたことのないような悲鳴とも叫びとも言えない音が喉から出て、感情が抑えられなかった。


 
 カチャン、という物音では目を覚ました。そこはあまり見慣れない場所で、それでも天井や生活音の様子からホグワーツのどこかだということはわかった。その後ですぐに、昨夜(たぶん昨夜だと思った)起こったことを思い出して、脱力感に襲われた。もうこの世に存在していても仕方がないのだと悟った気がして、自分はなんて他の人間より人生に卓越した価値観を持っているのだろうと、称賛したくなった。そしてまた、喉から酷い音を発しそうになった。それを、ドラコ・マルフォイが止めた。
 「ハロウィーン・パーティで出たパンプキン・プディング。はプディングが好きだろ」
 そう言われて視線をサイドチェストにやると、パンプキン・プディング以外のものも置かれていて、彼女はドラコにお礼を言った。少しだけ、ほんの少しだけ元気が出た気がした。
 「三大魔法学校対抗試合の代表選手にポッターが選ばれた」
 ドラコのその発言に、彼女はさほど反応は示さず、身体を起こしてプディングに手を付けた。その味に、今日がハロウィーンならあの酷い失恋は昨夜に起こったことでよかったのだと、変な確認をした。それから、プディングの甘さに安心したのか、やっとまともな、心の痛みに対しての正常な身体の反応が出て、涙が溢れて、嗚咽が後からやってきて、口に入れたプディングが落ちてしまいそうだった。ドラコが彼女の手からプディングを受け取ってサイドチェストに置くと、優しく背中をさすった。彼女はまたお礼を言った。ドラコは苦笑いしているようだった。


 
 三大魔法学校対抗試合の最初の課題の行われる日、は鬱蒼とした森の中を歩いていた。寒空は大きな木々にかくれてほとんど見えず、まだ昼中なのに薄暗くてもうすぐ日が沈んでしまうような淋しさと不安が身体を攫おうとして過ぎて行った。彼女はそっと瞼を閉じ、姿くらましをした。
 現れた屋敷は見慣れた場所で、は少しその場に佇んだ後、静かに玄関に向かって歩いて行った。何の気配も感じ取れず、それなのに恐怖ばかりが押し寄せて、目の前の扉がいつも以上に重い物のように感じさせられた。きっと、屋敷の中にいる人物は私の存在などいとも簡単に読み取っているのだろうと。最初から状況は不利なのだから、今更あがいても無駄だと。それなら、やれるだけのことをやってみたい。バーテミウスの心が、少しでも多彩になるように。誰も、悪人として生まれてはこないのだから。人はみんな、善人として生まれてくるのだから。


 
 扉の向こうではワームテールがナギニの世話をしているところだった。当然のことだと思うが、ワームテールは慄いていた。小心者だと馬鹿にする訳ではなく、普通の人間であるなら闇の帝王の存在を知って、目の前にして震えない者はいないだろう。堂々としていられる者は、彼を崇拝しているか、それとも強い意志の持ち主か。常に恐怖にさらされているワームテールは、一人の少女が屋敷の扉を開けただけで驚いている。さらに今日は本来なら学校のある日、しかも三大魔法学校対抗試合の第一課題が行われている最中。
 「何か問題でもあったのか」
 震えてはいるものの、一回り以上も年下の少女に対しての口調は強気で、その風貌から放たれるその態度はとても滑稽に思えた。しかしこの男はある意味でとても強い。恐怖を感じながらも闇の帝王と行動を共にする。自分の感情や優先したいものを全て犠牲にできる強さが、彼にはある。今のは、ワームテールの持つ強さを獲得しようとはせず、弱い者なりの最後のあがきをすべく、この屋敷にやってきた。
 「わが君、あの人を返して下さい」
 震えそうな自分に鞭を打って、ヴォルデモートの座る一人掛けのソファの前で跪いた。初めて直視したかもしれない姿に、鳥肌が立って思わず身体が震えてしまう。それでも堂々として、彼に対する恐怖なんてもう感づかれているのだから、弱い者なりの主張を、話すことは誰にでもできると言い聞かせて。しかしヴォルデモートは彼女の言葉も聞こえなかったかのように、「俺様の命令はどうした」と酷い声で言い放って、直後に彼の発した呪文の言葉も聞かせてもらえないくらいの速度での全身を苦痛が襲った。
 それはバーテミウスが闇の魔術に対する防衛術の授業でみんなにみせた呪文だった。そう理解したのは、その呪文が解かれてしばらく経った時だった。今まで自分がどこにいたのかもわからないようで、床でだらしなく力無く横たえる自分を、意識が戻っても、どこか遠くから見ているようだった。
 「その感覚すらも味わえなくなるか。どうだ」
 聞かれていることはわかるのに、それを理解して返事を考えるという思考回路がまだ回復していないようで、彼女は虚ろな眼差しを声のする方になんとなく向け、コクリと頷いた。その頷きがイエスなのかノーなのかは重要ではなかった。今回の彼女の行動への罰は、もう十分だった。


 
 そのまますぐに姿くらましをする気力もなく、しかしそのまま屋敷に留まる訳にもいかず、私はリビングの床で涙の湿気を吸ってくしゃくしゃになっていたと思う。まともな意識を取り戻した時、そこはホグワーツでバーテミウスに宛がわれた部屋で、しかし横たわるベッドから彼の香りはしなかった。アラスター・ムーディの嫌な香りだけだった。
 ドアが開いて、そこからムーディの姿をしたバーテミウスが現れた。が起き上がった時のシーツの擦れる音を感じてやってきたらしい。彼女は彼から説教を受けることは容易に想像できていた。しかしそれ以前に、彼がゴブレットにハリーの名前の書かれた羊皮紙を入れた夜、彼女が彼に突き飛ばされた夜、あの夜以来の再会で、不思議な気持ちがこみ上げる。それは恥ずかしさであったり、恐怖であったり、忘れたくない恋心であったり。彼は温かい紅茶を彼女に差し出した。
 「何を君に頼んでいた訳ではない。そんなことになるつもりはないが、俺がしくじった時の為に今行われている計画をお前には知らせている」
 声のトーンはいつもと変わらないのに、“俺”だとか“お前”だとかいう言葉がやけにきつく感じられた。はカップの温かみを親しむだけで、紅茶には口をつけなかった。
 「それなのに、今回のことはあんまりだ」
 「私は、自分の気持ちに正直になっただけ。貴方にもそんな気持ちを──」
 「まだそんなことを言っているのか」
 バーテミウスは呆れたように彼女の言葉を撥ね退け、十四歳の少女の正しい扱い方を知っているかのように、入ってきたドアから出て行った。また一人になった彼女は、ティカップの中にうつる揺れる表情を見ては、もう彼の心は取り戻せないのかと、涙を零した。泣いている彼女を見たところで彼が何を感じる訳ではないのに、ドアの向こうで、シーツの擦れる音を聞きとったように、涙が紅茶に落ちる音を聞いてほしかった。


 
 強い者へ歯向かう強さもなく、愛する者を救う強さもなく、一人で静かに消えていく強さもない。そう思って彼女は何日もベッドで横になった。外はどんどん寒くなっていくばかりで、彼女をより苦しめた。体感できるこの寒さや、陽の温かさを微塵も感じさせてくれない雪雲に覆われた空を見ていると、微塵も明るい気持ちが沸いてこない。周りの生徒は三大魔法学校対抗試合のことだったり、いつもの学園生活を楽しんでいるのに。それにもうすぐクリスマスだった。ベッドから出ていないからわからないが、今年もいつもと同様、城の中はクリスマスの飾り付けでキラキラと輝いていることだろうと、想像できた。
 「具合が悪い訳ではないのに、なぜ君はベッドから出ない」
 ぼんやりと窓の外を眺めていたから、誰かが声を発するまで、そこに人間がいたことすら気付かなかった。そう思うと、たった今まで自分だけ違う世界にいたかのような気がして、あのままこの世界からいなくなれたのかもしれないと、変な錯覚を感じる。まどろみを奪った声の主が誰かなんていうのはすぐにわかった。
 「スネイプ教授、大変失礼ですがお聞きしても良いでしょうか」
 返事がなかったが、それは許可の意味だと受け取って、彼女は話し始めた。
 「教授は昔、死喰い人だったと伺っています。バーテミウス・クラウチ・ジュニアのことをご存じですか」
 しかしこの言葉にも返事はなかった。それでも彼女は独り言のように、虚ろな目で窓の外のゆっくりと動く雪雲を見据えながら話し続けた。
 「愛おしい人がいて、その人を思う気持ちは誰よりも一番強いのに、その人は自分ではない別の誰かの物だった時、どう感じますか」
 返事がないことは分かりきっていた。それでも、誰にも伝えずに雪雲を眺めるより、こうして声に出して、聞いてもらえたら楽になる気がした。それも、お世辞や馬鹿にする言葉を返してくれる相手ではなく、こうして何も言わずに聞いてくれる相手。まるで、服従の呪文にかかっていた時のバーテミウスのように。
 「我輩の呼び出しを無視した罰として、薬草庫の整頓の手伝いをさせる」
 そういえば、数日前にルームメイトの女の子が、スネイプ教授が呼んでいるとか、マルフォイが心配してるとか言っていたような気がした、とは思い出した。彼女は素直に、はい、と返事をして、静かに女子寮から出ていくスネイプの足音が消えるまで、身動きひとつとらなかった。久しぶりに身体を起こして、サイドチェストの引き出しから手鏡を出して、そこに映った酷い顔をした自分を信じたくなかった。こんな顔では、アラスター・ムーディと大差ないと思って、笑った。手鏡をチェストの上に置くと、その背面の細工がとても可憐で乙女らしい薔薇の模様で、見惚れた。自分の持ち物で何年も使っているものなのに、その可愛らしさに今やっと気が付いたかのようだった。こんなふうになりたいと、思った。そして、バーテミウスに微笑んでもらいたいと思った。


 
 「、身体は大丈夫なのか」
 が久しぶりにスリザリン寮のロビーに降りると、ちょうどそこにいたマルフォイが驚いたような仕草を一瞬見せた後で、いつもと変わらない様子で声をかけた。彼女はそれに返事をして、周りのスリザリン生がこちらを少し伺ってすぐ興味をなくしていくのを感じた。目立たない生徒である彼女であったが、その目立たない生徒の一人が数日部屋から出てこないだけでも、それとない話題や興味というのは起こるもので。しかし再び現れた話題の主は今までと変わらぬ姿で現れるものだから、もうそこで話題はプツリと切れてしまう。
 「もしよかったらでいいんだけど、お願いがあるの」
 彼女は周りの視線と意識を感じなくなってから、マルフォイを少しロビーから外れたところに誘い、小声で話をもちかけた。その内容を、マルフォイは意気揚々と受け入れてくれた。も嬉しくて、久しぶりに笑った。頬が痛かった。


 
 ノースリーブのドレスから出る肩と、その先の腕が冷たい空気に触れて鳥肌をたてていた。それを隠すように羽織ったファーストールが、歩くたびにふわふわと揺れる。まるで中庭に静かに降り積もっていく雪のようで。背後に感じる、大広間での賑わいは、そんな静かなクリスマスの夜を罵倒しているように感じた。履きなれない少しヒールの高い華奢な靴が、廊下の石畳を鳴らす。胸が高鳴る。十四歳なりの精一杯がつまった心が、何よりも浮足立っていた。
 「そんな顔しなくても」
 扉を開けたそこにいた一人の男のいつもと違う表情に不安になった。もう慣れてしまったアラスター・ムーディの酷い顔の中に、なんとも言えない疑問の色が見えて、それは確実に、部屋に現れたの姿のせいだった。彼女が苦笑いする前に、彼のその表情はすぐに治まってしまったが、いたたまれなくて彼女はすぐそばにあった椅子に腰掛けた。ここまで歩いてくるだけで痛み始めた足が楽になった。
 「ポリジュース薬を作っていること、すぐにバレてしまうと思う」
 今まで以上に最近の二人には会話というものがなかったから、はバーテミウスへ視点を向けるのもままならなくて、ストールを肩からはずして膝の上に置いた。露出する肌に、まだ色気を纏わぬ十四歳。背伸びをしていることは重々わかっていて、そのことを痛感させた彼の表情。
 「スネイプ教授が、薬草庫から誰かがポリジュース薬の材料をくすねていると仰ってたから」
 「それで薬草庫から材料がなくなったのか」
 そう言われ、彼女はストールの中で合わせている手を握り締め合った。まさか、自分が隠したとは言えない。アラスター・ムーディの姿になったバーテミウスを見るのはもうこりごりだった。
 「なんとか調達してくれないか」
 彼はそう言いながら、荒れた手をポケットに入れて、ポリジュース薬の入ったボトルを取り出した。は反射的に立ち上がった。膝の上からストールが落ち、一歩前に出した足が、ヒールの高さにバランスを崩し、そのまま前のめりに体勢が倒れていく。その先にバーテミウスがいて、受け止めてはくれないだろうと思ったが、彼は受け止めてくれた。ゴワゴワとしたコートが、肌に当たっているのがよくわかった。
 「今日は、お願い聞いて」
 声が震える。
 「薬の効力が切れるまで待つから、今日だけ、素顔を見せて」
 私はきっと、この一連の事が終わったら、ヴォルデモートに殺されてしまうかもしれないし、殺されずに死喰い人になったとしてもついていけない。そうなったら、バーテミウスと一緒にいることも難しいだろう。そうなると、このホグワーツという、ある意味で守られた空間のこの一室だけが、今の二人にとっての、にとっての最愛の場所だった。
 バーテミウスは手に取ったボトルをテーブルの上に置いて、彼女をゆっくりと起き上がらせると、床に落ちたストールを拾い上げた。それから優しく、ふわりと彼女の肩にそれをかけ、何も言わずに時を待った。はそれだけで、嬉しさと恐ろしさで涙が溢れてしまいそうだった。一段と静かになったこの部屋にも、外のクリスマスムードは薄く響いていた。


 
 パキンと、冬の冷たさに硬くなったミルクチョコレートを砕く音が響いた。それは私の口内で甘く溶けて、じりじりとした焦る気持ちをほどいてくれるようだった。チョコレートをつまむ指先は、それを溶かす程の温度は持っていなくて、代わりに汗ばんでいるくらいだった。
 この部屋の、アラスター・ムーディ仕様の雰囲気には合わない、クラウチ家らしい品のある小皿に、ひとつひとつに手間が込められたチョコレートが乗っている。ドレスにストール、靴まで用意してくれたのはマルフォイの両親で、そうお願いしたのは。快く受けてくれたマルフォイ一家に感謝し、そのセンスにも感服した。さほど知りえないに似合うドレスを選んでくれた。初めこそ、色っぽいドレスを着て、高いヒールを履いて佇む自分が映る鏡を見て身震いさえしたものの、今はもう慣れてきたのか、自信に、もっと特別な私を見てほしいとさえ思えてしまう。ドレスたちと一緒に包まれていたこのチョコレートに、そんな魔法がかけられていたのかもしれない。熱のこもり始めた指先でチョコレートに触れると、溶けだしてしまいそうだった。
 「っ……」
 チョコレートを指先で弄んでいると、今まで沈黙のままだったバーテミウスが小さな深い声を出して、それに見上げると彼は少し力んでいるようだった。は立ち上がって彼の前に屈み込み、椅子の肘掛けを握る彼の手にそっと手を合わせた。その手はチョコレートを溶かす微量の熱を持った彼女の体温よりもずっと低い温度で、彼女は添えた手を無意識に擦り合わせた。そのうちに、彼女は、自分が擦り合わせたからではなく、彼自身が熱を帯び始めたのと不規則に盛り上がる皮膚を感じた。ついにポリジュース薬の効力が切れたのだとわかった。二年前にハリーたちも同じことをしていたのだから、変身の過程が苦しいものではないのだろうと想像できたが、目の前で起こる不可解で不気味な現象を直視できず、は手だけを添え、顔を彼の膝にうずめるようにしゃがみ込んだ。手に伝わる疼きと、バーテミウスの中からアラスター・ムーディが消えていく音が、バーテミウスが現れる音が聞こえる。
 全ての音が消え、重ねた手から強張りが消え、また静寂が訪れて、ただの胸の高鳴りだけがうるさく、見上げたところにいる彼の表情を伺うのに勇気が要った。それをわかってなのか、懐かしい愛おしい声に名前を呼ばれ、彼女は思わず涙が溢れた。見上げることもできず、彼の膝の上で泣いた。硬い衣服の下には、確かに、さっきまではなかったバーテミウスの血と肉と骨があって、そこから伝わる温度も全部、全てが愛おしい彼だった。こんな十四歳の願いをきいてくれた彼に、もう一度だけ気持ちを打ち明けたいと、衝動的に想った。
 「だいすき、バーテミウス」
 そっと頭の上に手を置かれるのを感じ、その手がゆっくりと優しく髪を撫でていった。思わず見上げたバーテミウスの表情は、今まで見たことのないものだった。
 「若かったあの時、襲った夫婦の子供が君じゃなくても、僕はこんな気持ちになったんだろうか」
 バーテミウスの言う「こんな気持ち」がどんなものかは彼しか知りえないものの、にはそれだけで十分だった。彼が特別な気持ちで自分の事をみてくれていると知れただけで良かった。それから、彼の為にできる限りのことをしたいと思った。たとえそれが善いことであろうと、なかろうと。


 
 あの晩、私たちはもう一度、この計画について話し合った。今までと変更になったところはどこにもなく、唯一変わったのはが前向きにこの計画に取り組もうとしていることだった。
 そして三大魔法学校対抗試合の第二課題が行われる日。生徒がみな、湖を目指して歩くいていくなか、は湖を通り越して、校庭の外を目指していた。いつもは馬車に揺られてくる道を、ひたすらに遡る。大きな門を目の前にする頃には、皮靴を履いたつま先は感覚を失うほどに冷えていた。冷たい空気を裂く笛の音がかすかに聞こえた。試合が開始されたのだ。彼女はそれを聞いてから、瞼を下した暗闇の中に、懐かしい我が家を思い浮かべた。


 
 「ヴォルデモート卿、何用ですか」
 「ほう。その名前を口にしても平気なのか」
 は小さく、しかし有無は示さない相槌を見せた。彼女は跪いた姿勢から、ふと視線をあげると、そこには相変わらず酷い形相のヴォルデモートと、ワームテールが父を取り押さえていた。取り押さえているという具体的な動作ではなく、魔法で。彼女はその様子にドキとさせられ、それをヴォルデモートに悟られたのではないかと、少し汗をかいた。
 「俺様の名を呼べるのなら、この男を殺すことも容易いだろう」
 そう言ってヴォルデモートはワームテールに目配せして、ワームテールは乱雑に父をの目の前に投げ捨てるように差し出した。彼女は動揺が抑えきれなかった。目の前で力無く、意識があるのかないのかわからないような状態の父を見て、これまでにないほど良心が痛んだ。胸をえぐられるかのようだった。仕事にまい進し、家族のことにあまり構わない彼だったが、息子の犯した罪の償いにを引き取り、今まで育ててきたことは確かな愛だった。もし、バーテミウスの命か、父の命かと言われたら、バーテミウスの命をとると、頭ではわかっていることなのに、それを実行するまでの理由にはならないのだ。しかし、理由など必要ない状況が、ここにはあるのだった。
 「杖を持て!」
 ヴォルデモートが、かすれた声で叫ぶ。決して大きな声ではないものの、その声色には全ての恐怖がつまっているかのようで、は震えながら杖を手にした。クリスマスの夜、バーテミウスに誓った気持ちが揺らいでしまうかのようだった。彼への愛を示し、貫くには、あまりにも犠牲が多すぎるように思えた。
 どれだけ自分が葛藤したのかは覚えていない。葛藤した時間が全て無駄だったかのように、その行為は意図も簡単に済んでしまった。目の前に横たえる男から、完全に意識が消えてしまった。この肉体から生命を奪うための呪文を囁いた己の声帯は、からからに乾いていて、それとは打って変わって、瞳の奥から涙が溢れて止まない。はその場にうな垂れ、泣いた。
 「このような場を設けた俺様に感謝はしないのか」
 お前はまだ若い故に仕方がない。しかし実の父親ではあるまい、大した愛情とやらだ。そう言うヴォルデモートの声は確かに彼女を挑発していた。そして、確かにこのことは、彼女の心から色を奪っていった。


 
 「ミス・クラウチ!」
 目を閉じると、あの時の光景がまるで瞼に焼きついているかのように、暗いスクリーン上に浮かび上がるとはよく言うものだが、まさしくその通りだと思った。は父を殺した光景が頭から離れず、瞼を閉じた、外界からの情報が入り込まない、いつもなら静寂である時間を、あの光景が覆っていく。意図も簡単に、杖とその意志さへ持っていれば、人の命を壊すことができる。ベッドに横になっても、考えるのはそのことばかりで、死んだ父が天井から見下ろしているのではないだろうか、実の両親を殺した男と、その男の身内によって救われた私と、そんな二人が生き残っていることに、死者は何を考えているのだろう。
 そんな寝不足の頭に、うるさい声が響く。振り向くと、そこには学校内で何度か見かけたことのある派手な格好をした女性とカメラマンだった。
 「お父上の病状はいかがざんすの?」
 独特の口調で、重たい教科書をいくつも抱えたを呼び止めた。疲労困憊で酷い顔をした彼女を、カメラマンは合図もなしにフィルムに収める。こんな昼間なのに、めいっぱいに焚かれたフラッシュがまぶしくて、質問をするリータ・スキーターの顔が暫くは光の残像で伺えなかった。それでも、強い光に視界から欠落した部分で、彼女は喋り続け、何も答えてはいないのに、ほとんどが自己解決したかのようにペンを走らせている。
 「シレンシオ!黙れ!」
 が杖を挙げると、少し遅れてリータ・スキーターがペンを走らせていたメモパッドから目を外し、驚いたように、化粧を施された目を見開いた。その直後に口を開こうとしたものの、のかけた呪文によって声を発せないようだ。それでもなお、は杖を突き立て、落ち窪んだ興奮した目で彼女を凝視する。
 疲れ切った脳裏に、昨日の出来事が浮かぶ。我が君が、言う。二度目は簡単だ。雑作もないことだ。
 「ミス・クラウチ」
 呪文を唱えようと口を開いた時、もう一度、誰かに名を呼ばれた。同時に肩に置かれた手に気付き、振り返るとそこにはアラスター・ムーディがいた。
 彼はそう言い、知らない間に彼女の腕からすり落ちていた教科書たちを杖を振って浮かび上がらせ、彼女の腕の中へ積んでいく。まだ放心状態の彼女は、先程まで恐ろしいことを考えていたなどとは自覚することもなかった。白昼の出来事に、校庭には誰が呼ばずとも人が集まり、たくさんの目が彼女たちを見据えていた。ムーディはリータ・スキーターの呪文を解き、を校庭から連れ去った。


 
 「クリスマスの日、素顔に戻ってから、この姿でいることが窮屈で仕方がない」
 早くポッターをあの人の元へ差し出したいものだと、バーテミウスが言うのも、彼がが腕に抱えた教科書を受け取って机に置くのも、彼女は気に止める様子もなく、全ての情報が彼女を貫通していっているようだった。しかしだんだんと彼女は震え始めて、未だに杖を握り締めた手を見下ろしていた。
 「私、お父様を殺したの」
 静かにそう言って、しばらくするとまた同じことを繰り返し言った。バーテミウスは、ヴォルデモートに言われて彼女が父を殺しに行ったことは知っていたし、彼女をクラウチ邸に向かわせたのも、我が君が呼んでいると彼が伝えたからだ。
 「初めは大概がそうなる。僕もそうだった」
 「みんなそう言うのね!初めって何よ!あと何人……何人殺せばいいの」
 「必要なだけ」
 ムーディの仮面を脱ぎたいと、明るい口調で言う彼から、打って変わって静かな口調になったバーテミウスは、自分と私とを重ね合わせているのだろうか。彼の初めての殺しは、私の両親だったのではないか。彼女はそんなことを考えながらも、昨夜の絶望が、言葉に変えたことによって溢れて止まらず、彼の言う「必要なだけ」という言葉に、途方のない悲しみが。
 「それなら、あなたを好きになる前に殺してしまえばよかった」


 
 ハリーが階段を駆け上がると、そこには一人のスリザリン生がいて、彼女はハリーの足音に気が付いたのか振り返る。彼女はハリーの姿をちらと確認しただけで、またすぐに校長室の扉を見据えて佇む。
 「?どうしてここに?」
 「いま大人たちが話していることについて」
 そう言われ、ハリーも扉の向こうの会話に耳を澄ませた。バーサ・ジョーキンズ、バーティ・クラウチという名が聞こえ、彼女がクラウチ家の人間だということを思い出した。ハリーも日刊預言者新聞の記事を読んでクラウチ氏が病気だということは聞いていたが、どうやら行方知れずらしい。そんな状態の父親についてダンブルドアやファッジが話し合っているというのに、は全く身応じせず、その姿はハリーの夢の中に出てきた彼女とは対照的だった。思い出して、ハリーは彼女に聞こうとした。クラウチ氏について、何か知っているのではないかと。
 口を開くのと扉が開くのと、どちらが早かっただろうか。扉の向こうでこちらに杖を向けるムーディが扉を開けたのだろう。校長室にはそのムーディと、ファッジとダンブルドアがいた。
 「ミス・クラウチ、来ておったか」
 ダンブルドアがそう言って手招きするので、が部屋へ進んで行き、ハリーはその場で立ったままだったが、ダンブルドアが微笑んだので後に続いて入った。
 「校長、父は」
 「わかっておる」
 そう言ってダンブルドアはムーディとファッジをの肩を誘い、彼女たちとすれ違うように扉へ向かった。大人たちの前ではいらぬ茶々もなく話やすいであろう、と言う彼に、ファッジがどういう意味だと、早速茶々を入れていた。ゆっくりと扉が閉まり、部屋には、絵画の中の人物やホークス、組み分け帽子などを抜いて、ハリーとの二人だけとなった。
 妙な思惑の中に取り残された二人だけ。ハリーは、ダンブルドアが遮った彼女の言葉の後に何が続くはずだったのか考えて、また夢の映像が思い起こされる。そこにいた彼女は、狼狽する気持ちを必死に抑え込む弱い人間で、床に横たえる男に杖を向けていた。他にはワームテールとソファに座る何かがいた。その何かはゼエゼエと言うように言葉を発し、に命を下していた。彼女が杖を向けている男を、ハリーは知っていた。三大魔法学校対抗試合の開催にあたって、魔法省の来賓として来ていた。それは、の父であるバーティ・クラウチだった。彼女が死の呪文を唱える時、ハリーは条件反射で叫んだ。しかし、叫んだことによって夢から醒めた。よって、夢の続きで何が起こったかはわからず、また、どうしてそんな夢を見たのかもわからない。その答えを、ダンブルドアが遮ってしまった彼女の言葉が語ろうとしていたように思えて、ハリーは思わず彼女をじっと見つめてしまう。
 「これ、何かしら」
 ハリーの見つめていたのは彼女の残像で、そこに彼女はおらず、ダンブルドアの部屋の一つの戸棚を覗き込んでいた。勝手に何をしてるんだと思わないでもないハリーだったが、好奇心をそそられて彼女の背後から棚を覗き込んだ。そこには、淡い光を放つ水盆があった。丸い水盆の中には何かが写り込んでいて、それは、水盆を覗き込む二人の顔ではなく、部屋の壁にぐるりとベンチのようなものが階段状に並び、まるで円形劇場の舞台と客席のようで、客席にはたくさんの魔法使いが座っていた。そして、舞台には人はおらず、手すりに鎖がついた椅子が四脚。物々しい雰囲気を感じる。
 「お母様?」
 思わずは呟いた。それに促されるようにハリーは水盆の中を覗き込んだ。覗き込んだところでふと視線を上げると、とても近いところでと目があった。思わず身じろいでしまって退行すると、すぐ後ろのチェストにぶつかって態勢を崩し、そのまま訳もわからず、どこかへ転がり落ちていった。


 
 は盆の中の地下牢へ落ち、身体を起こして当たりを見渡すと、平然と着席している大人たちの間から、彼女と同じように辺りをきょろきょろと見まわしている人物がいた。
 「連れてこい」
 ハリーの名を呼ぼうとした時、少し上の方にいた人物の声に素早く振り向いた。そこには母とは違う、の知っている故人の姿があった。自分が命を奪った者の姿に、身震いする。
 「ここはまるで他人の夢の中みたいだ」
 唖然としている彼女の横から、ハリーの声がした。確かに彼らには彼女たちの姿が見えていないようで、地下牢の中の時間と彼女たちの時間とは一致していないようだった。良く見るとダンブルドアの姿もある。振り返ったところで悲愴な顔をしている母を見つけ、その肩に触れようも、まるで自分の身体が指先から煙のようになっていて触れられない。
 しばらくするとドアの開く音がして、そちらの方を見れば、ディメンターが先に見えて、その後を囚人らしい人物が四人並んで歩いてくる。地下牢にどこからともなく現れて置かれた椅子に、囚人たちは座らされ、縛り付けられた。一人一人囚人を確認していくは、そのうちの一人から目が離せなかった。彼女の知っている人物よりとても若く、とてもやつれていて、栄養失調の捨て猫のようだった。少年は怯え、震えていた。
 「おまえたちはある夫妻を拷問のうえ殺害した」
 「違う!僕はやってない!」
 堰を切ったように、が見つめる少年が叫んだ。その少年に感化されるように、彼女は少年の元へ駆け出した。後ろでハリーが名前を呼ぶのが聞こえる。父、ハリー、目の前の少年の三人の声が混じり、少年は「お父さん」と叫んでいる。その言葉に、まだ幼さを帯びたその声に、彼女は彼がバーテミウスだということを確信した。今行われているのは、自分の親を殺した罪人たちを裁く裁判なんだ。彼女はそれを理解し、壊せるのならこの夢を壊してしまいたいと思った。必死に思って願っても、己の手は煙のようにバーテミウスの身体や、身体を椅子に縛っている鎖をすり抜けていく。彼の叫び声と鎖の暴れる音が惨たらしい。
 「ここで陪審の評決を」
 父が声を荒げて言う。息子が自分の知らないところでデスイーターになり下がり、現に犯罪を犯した。それも盗みなんていう稚拙なものではなく、人命を危機にに曝すような非道な事案。評決を求めるその声は、身内に対する同情の気持ちを必死に押し殺し、客観的に職務を行おうとするというよりは、心から彼を憎んでいるようで。
 ひたすらに同じことを叫ぶバーテミウス。それに対して必死に息子と自分とを切り離したい父の言葉。泣いている母。何もできない、煙の私。ディメンターによって地下牢から暗い廊下へと引きずり出されていくバーテミウスを、知らぬ間に泣き喚きながら追った。


 
 は煙の世界から抜け出し、固体化した自分の肉体を得た。それはまさしく悪い夢から覚めたばかりのような体の鈍さであり、先程まで見ていた光景を無視することは難しかった。視界の端で己の髪が揺れるのが見えて、彼女は顔を上げた。知らぬ間に床に腰を下ろしていた彼女を、ハリーとダンブルドアが見下ろしていた。ハリーは心配そうな顔で、ダンブルドアはどちらかというと無表情だった。
 「大丈夫?」とハリーに支えらえれて立ち上がる。大丈夫かと訪ねるのは、ハリー自身も今起こったことに混乱しているからだろう。あの夢の中に居合わせたのがハリーで幸か不幸か。今見たことは誰にも言わないで、そんな言葉をかけることは稚卒だと思った。は「ありがとう」とだけ返し、校長室を出た。誰もそれを止めなかった。
 夢の中で見たバーテミウスはまだ幼く、今の自分からすれば年上だったが、それでも、世間からすればまだ子供として扱われてしまうような青年だった。母親を呼ぶ声がそれを一層引き立てていて。はようやく夢の中のことを回想し始めた。そもそもこの夢が誰のものなのか、どうしてハリーまで入り込んだのかはわかないが、校長室にあるあの不思議な盆の起こした出来事だ。どうせダンブルドアのものに違いない。そう思うと、彼女としてはダンブルドアが憎くて仕方が無い。彼らのような光があるから、バーテミウスのような人間が闇と扱われてしまう。光で闇をかき消そうとするから、闇は光を覆おうとするのに。お互いにお互いを敵視している。ダンブルドアが治めるこの学校も、暗黒の時代と呼ばれる帝王が治めた魔法界も、何も違いはないのに。一部の人の生きやすさの為に、一部の人間が排除されるのはいつの時代もどんな組織でも同じではないのか。



 「様!様!」
  バーテミウスが母を呼ぶ声が木霊する。あんな弱々しい彼は見たことがなかった。まるで夢だったのかもしれない。それを証明するかのように夢から現実へとを誘ったのは、聞き慣れた声だった。
 「ウィンキー、どうしたの」
 「様こそ!闇払いのムーディといかがわしい仲なのですか?」
 「学期末テストが近いから補習をしてもらってたの」
 の説明をウィンキーが信じたのか信じていないのかはさほど問題ではなく、相変わらずのキーキー声で喋り続けている。ウィンキーに言われては気付かされたが、ここはバーテミウスの部屋だった。ウィンキーに静かにするように目配せしてからゆっくりとドアを開けると、闇の魔術に対する防衛術の授業はもうすぐ終わるようだった。
 「ウィンキー、これをあげる」
 はポケットからハンカチを取り出しながらウィンキーの方に振り返えると、ハンカチに杖を一振りし、それをブラウスに変えた。それをウィンキーに差し出すと、彼女は大きな目をさらに見開いた。
 「もう着るものをあげても支障はないでしょう。もう貴女は本当に自由なの。だから私たちをご主人様だなんて思わないで。もう関わらないで」
 予想はしていたが、凄まじい勢いでウィンキーが反論した。は少しだけ鬱陶しいとさえて、あれだけ一緒にバーテミウスを介抱してきた彼女に対してこんなにも冷たい気持ちを向けられるまでになってしまったのだと、自問した。その答えを差し出したのはウィンキーだった。
 「今の様、まるでバーディ坊っちゃまのようです」
 授業の終わりを察したのか、もう話すことがなくなったのか、ウィンキーはブラウスをその場に残したまま消えて行った。



 一緒にお喋りをする友達などいないにとって勉強をする時間というのは生活の中に有り余っていた。しかし今学期の彼女には勉強よりももっと大事な修学することがあった。勉強する時間がないにしろ、授業をまともに受けていればこんなことにはならなかったかもしれない。しかし彼女の頭の中にはいつだってバーテミウスのことばかり。それは恋煩いなんかではなかった。だから、今回の学期末試験は酷いものだった。まだ結果さえ出ていないものの、試験を受けた彼女自身が一番よくわかっていた。しかし今更そんな成績など彼女には必要なかった。今の彼女にとって大事なものは、バーテミウスの心身と、闇の帝王の命令。
 終業の金が鳴ると生徒は一目散に席を立って教室を出た。今日は三大魔法学校対抗試合の最後の課題の日だった。いつもは課題のある日でも落ち着いているだったが、今日は他の生徒と同じように慌ただしく入り乱れた。教室を出るとそれぞれの教室から生徒が廊下に押し寄せていた。大混雑したダンス会場のようで、躓かないようにと、皆がタップダンスを踊っているようだった。
 やっと廊下をぬけだして校庭に出てしばらく歩くと、彼女は振り返ってホグワーツを見上げた。とても大きい城は、同じように彼女を見下ろしていた。
 「4年間、お世話になりました」
 彼女はそう呟いて、また忙しなく走り出した。会場にいるバーテミウスと最後の話し合いをしなければいけない。そして、この計画がどう転んでもいいように、もう一度、気持ちを伝えなければいけない。
 走り疲れて乱れた息を整えながら彼女は課題に使われる迷路の中を歩いた。この迷路のどこかでバーテミウスが仕掛けを作っているはずだった。同じように他の教師もこの迷路に入っていたが、は透明マントを着ているお陰で姿は見えずにいた。しかし、あの魔法の偽眼には紛い物の透明マントも効力を示さない。背後から名前を呼ばれてどきりとする。
 「大丈夫か」
 「急いで来たから呼吸が」
 アラスター・ムーディの偽眼の見つめる先にいたは顔の部分だけマントを外し、少し息が楽になったような気がした。
 「僕はクラムをやる、君はデラクール嬢を」
 は頷くだけして、彼の方を見つめた。その偽りの表皮の中にうずくまるバーテミウスを見つめた。
 「私の肉体は帝王に捧げたんじゃない。貴方に捧げたの」
  僅かに微笑んでくれた気がした。それは嘲笑だったかもしれない。
 「君を助けた甲斐があった」
 「だから、今度は私が貴方を救うの」
 バーテミウスの手がの手を掴み、少しだけ距離が近くなった気がして、このままそっと口付けてくれるような、そんな熱い視線を奥から感じた。壊れかかったようなムーディの顔でなかったら、は理性を失っていたかもしれない。ロマンスの中にいる二人に目を覚ませと言わんばかりに、ルード・バグマンの声が響いた。最後の課題が始まったのだ。



coming soon ...