金曜の夜は仕事終わりに妙義へ行っていた。太陽が顔を覗かせかけた頃に布団に入ったものだから起床が昼過ぎになってしまう。そしてまた土曜の夜は妙義へ行くのだ。ぼんやりとした頭でポストの郵便物を見に行こうと玄関のドアを開けた。すると隣の部屋の住人が廊下に腰掛けていた。昼間とはいえ寒い冬の日、裸足と薄い部屋着の格好で腰掛けていた。
 ああして部屋から締め出されている場面に出くわすのは初めてのことではなかった。それに毎日のように隣の住人が喧嘩している物音を聞いている。事情を伺わずとも、気性の荒い彼氏か旦那がいることは既に認知していた。
 ポストには広告しか入っておらず、その広告をアパートの前の通りにある自販機のゴミ箱に詰め込んだ。それから小銭を自販機に入れ、缶コーヒーを買う。ガチャン。チャリンチャリン。釣り銭が落ちてきて、ふと余計な思考が、またその小銭を自販機に入れる。同じ缶コーヒーをもう一つ。
「おたくも気の毒だな」
 挨拶なんてものはせず、缶コーヒーをぶっきらぼうに差し出した。好奇心かも知れない。彼女は驚いたような顔をしたが、断りは一切せず、素直に缶コーヒーを受け取った。それから小さく「暖かい」と呟いた。
「こういうのってDVって言うんだろ」
「別れればいいってわかってるんですけどね」
 彼女は缶コーヒーを飲もうとはせず、その温もりを手に宿すようにじっと手に包み込んでいた。それ以上他人の自分が言うことは何もなく、着ていたスウェットパーカを羽織らしてやろうかとも思ったがやめた。部屋のドアを開けると、彼女がこちらを見て微笑んだ。
「これ、ありがとうございます」

 土曜の夜、妙義から帰ると、そこは赤色灯の眩しい光と野次馬によって物々しい雰囲気だった。路地を折れてアパートの駐車場に入るまでは警官が案内をし、車から降りると質問をされる。
「大家さんから伺いましたが、中里さんですか?隣の部屋で殺人がありまして」
 何を言っているのか初めはわからなかった。殺人なんてことがこんなに近くで起こるものかと、さらには隣の部屋とは彼女の部屋だ。警官に聞かされたのは、彼女が殺されたということだった。他の部屋の住人が言うには、別れ話を拒否する男の怒号を聞いたらしい。昼間、自分が余計なことを言ったからかと、腹の奥が気持ち悪くなる。
 警官との話が終わり、疲れた身体で部屋に戻る途中、隣の部屋の開かれたドアに鑑識作業をしている警官と玄関先が見えた。そこに凹んだスチール缶と中のコーヒーが溢れていて、赤色の液体と混ざり合っていた。その缶コーヒーは自分が渡したもので、赤い液体は彼女の血液。
 早足で部屋に戻り、ドアを閉じるとドアにもたれてその場で立ち尽くした。身体中がぞわぞわとする。自分のせいで、彼女が殺されたのだと思った。自分が無責任に手を出したばっかりに、彼女は勇気を出して別れ話を切り出し、逆上した男に殺されたのだと直感的に感じた。今となっては隣の部屋から聞こえてくる物音が恋しく、強く壁を叩いた。
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