過去を持たない恋人


 妙義に向かう途中、信号に引っかかった。金曜日の夜は土曜の夜と同じで街は賑やかだ。次の朝がくることを憂鬱に思わずに済む幸の夜は、信号機の赤と同じ色で道路を埋める。
 不と聞き慣れた排気音がして、横に乗せた彼女の他愛ない話をちゃんと聞いている様子で、隣の車を見た。S13だった。彼、中里の以前の愛車だ。

「ちょっと毅、ドライバーが女の子だからって見過ぎ」

 どれだけの時間隣のS13を見ていたかわからないが、きっと相槌が帰ってこないことに彼女は意固地になったのだろう。軽く頭を叩かれ、すまん、と謝罪してからドライバーに目をやると、確かに女だった。それから、とてつもない衝撃が胸を遅い、慌てて目を伏せた。ステアリングを握る拳に力が入る。
 プッと後続車からクラクションが聞こえ、慌てて前を向くと前方の車が遠くに見えて、信号の赤も青に変わっていた。変なふうに波打つ脈と汗の滲む手の平を振り払い、ギアを1速に投げ込んだ。

「今日は妙義には行かない」
「どうしたの?」

 中里は彼女の問いかけには答えず、ウィンカーに指先を伸ばした。いつも曲がる交差点を今日は反対の方向へ。
 疑問ばかり問い掛けてくる彼女を少し煩わしいと思ったが、愛情がない訳ではない。しかし先程隣に居合わせたS13のコックピットに腰をおろしていた女を、中里は知っていた。知り尽くすほど。しかし彼女がS13に乗っていることは知らなかった。彼が知っている彼女は、S13に乗る前の彼女だった。忘れた頃に、そういった思い出はやってくる。
 ナビシートで半分ふてくせるように文句を零している女より彼女は静かで、彼女が中里に反論したのはただの一度だけだった。あの時、彼女の意見を聞き入れていたら今頃どうなっていたのだろうと、不意に考えて、怯えた。今の彼女の存在がどんどん薄くなっていく気がした。

「さっきのシルビアの女。ああいうのって絶対性格悪いよね。自分は特別って思ってそう」
「すまん、もしかしたらお前とはもう付き合えないかもしれない」

 彼女の言葉に思っていた感情がはっきりとし、まずいと思った時にはもう言葉が口を突いて出ていた。中里の言葉を皮切りに、少し落ち着き始めていた彼女がだらしなく腰を落としていたシートから体を起こし、彼の方をみやる。そして吠え始める。先程の問い掛けよりも強い口調で。

「さっきのS13のドライバー、昔付き合ってた奴なんだ」
「なにそれ」
「自分でもそう思う。二度目でも一目惚れって、通用するのか」

 中里を引き止めるように、叱るように声を荒げていた彼女が、そのうちに静かになって32の排気音とロードノイズの中に、すすり泣く音が聞こえ始めた。酷いことをしたはずなのに、なぜか彼女の涙を見ても心が痛まない。今彼が思い出しているのは、数年前、必死にすがりつきながら泣いていたへの切なる思いだった。





 妙義山を駆けあがっていく二つのエンジン音とスキール音。白いS13を煽る赤いEG6。
 しばらく追走されていたS13だが、相手の鼻息が伝わる程に近付いてくるEG6に、軽くブレーキを踏んでテールライトを点滅させ、次のコーナーが最後だと知らせた。

 コーナー出口で一層けたたましい音を立てて止まったS13と同じように道路の真ん中で横になって停車したEG6から降りた庄司慎吾はS13へと歩いて行った。慎吾がS13のリアフェンダーまで歩いたところでその車の主がドアを開けて降り立った。冷たい地面に足首の見えるショートブーツの踵が鳴る。張りのあるふくらはぎに色の濃いスキニージーンズの生地がぴったりと密着していた。

「ナイトキッズの庄司慎吾ですよね」

 S13から降りてきた少女にも見える女はそう言って白い息を吐いた。予想外にも女だということに少し腰を抜かした慎吾だったが、相手の問いかけに無愛想に答えた。彼女が車から降りてくるまでは何か一言二言いらんことを言ってやろうと思っていた彼だったが、乱暴な運転とは裏腹な律儀とも言える態度にまごまごする。でも待てよ、呼び捨てかよ。

「あの、毅さんに会いたいんです」
「俺は呼び捨てのくせに毅にはさん付けか」

 突拍子もない依頼に慎吾はまたもや腰を抜かす。なんでったって毅なんだ。

「あんた名前は」
です」
か。歳は」
「19です」

 まるで職務質問のようだと、は思った。
 慎吾は自分の立ち位置がちょうどEG6のヘッドライトから彼女を遮っている形になっていることに気付き、一歩横にずれた。そうすればの顔がぱっと照らされ、案の定彼女は顔をしかめ、右手を顔の前にかざした。

「悪くねえじゃんか」
「何がですか」
「若さと顔とスタイル。S13ってとこが気に食わねえが、まあそこはどうでもいい」

 中里のことは全く話そうとせず、それどころか下心を隠そうともしない野心にはたじろいだ。毅さんは、こんな柄の悪い人達と夜な夜なつるんでいるのかと思うと、自分の知っているあの頃の寡黙な彼はもういないのかもしれないと思った。実際、彼はあの車から乗り換えてしまった。そうして変わってしまった。私を捨てることを選んだ。

「生憎あいつは女いるし、毅なんてやめて俺と付き合えよ」

 追い打ちをかけるようなその言葉に、風の冷たささへ鈍く感じた。やはり、彼にとって自分は過去なのだと知らされた。
 ずっと好きでいたのは自分だけだった。初めからそんなことはわかっていたけれど、それでも彼にとって一度でも特別な存在であったことに誇りのようなものをもっていた。その思いがあったから、ずっと彼だけを感じていた。でも、その信念が揺らいでしまう気がした。

「一旦上ってあんたのクルマ置いてくか。下りで楽しませてやるよ」
「その後は」
「急に乗り気じゃねえの。もちホテルよ」

 凄まじい背徳感に快感さへ覚える。こうして大人になっていくのかと、それとも若気の至りなのかと、自問した。
 もう戻れない妙義の上りを、歯を食いしばってクラッチべダルを蹴った。


 FFの挙動というのは謎だ。FRでテールが出るようなスピードで高速コーナーを曲がってもちっとも足元に歪みがない。しかし今のにとってはスピンの1つや2つは恋しいものだった。ぐちゃぐちゃになりそうな心を、他方向からのGで安定させて欲しかった。もっと言えば、ガードレールを突き破って谷底にだって落ちていい。

 ラブホテルが建つ独特の雰囲気。ホテル街とは違い、突如山道の脇道に現れる看板の電飾はまるでアトラクションの入り口だ。は以前にもこのホテルに来たことがあった。
 そこを照らすヘッドライトは、ナビシートにが搭乗するEG6のライトだけではなく、ホテルから出てくるもう一台の車。二台の車のヘッドライトが重なり合う。そしてホテルの看板の向こうから現れた闇に紛れるR32。慎吾が「毅じゃねえかよ」と笑う。私は思わずシートベルトを外し、シート足元に身体を押し込んで隠れた。

「どうしたんだよ」

 幸いにも中里の乗った32は慎吾には気を止めず、それとも気まずかったのかすぐにその場を立ち去った。慎吾は駐車場に車を止めると、グローブボックスの下で丸くなる彼女の肩を叩いた。

「私、どうしても毅さんへの想いが捨てられない。私にとっての初恋で初めての恋人だった」

 久し振りに見た彼は、私の知らない車に乗って、私の知らない女の人を助手席に乗せていた。今の中里に恋人がいると慎吾に知らされていて解ってはいたものの、にはいざ目にすると辛いものがあった。

「このホテルにもよく来ました」

 彼はどちらかと言うと寡黙で、恥ずかしがり屋で。それでも愛してくれた。フラれてしまった自分で言うのもおかしいけれど、彼の愛をいっぱいに感じていた。でも今は違う人を愛している。私と過ごしたホテルで他の女の人と、依然の私にしていたことと同じことをしているのかもしれない。もしかしたら、私の見たことのない毅さんの姿を、あの助手席に乗っていた女の人は知っているのかもしれない。とても寂しかった。

「なんで別れちまったんだよ」
「彼は昔S13に乗ってたんです。でもGTRに乗り換えたいって言って」
「あー、それでお前がフラれたのか」

 慎吾の言葉にこくりと頷いた。あの時の自分も、彼は走ることに情熱を傾けていたから、その部分に干渉してはいけないとはわかっていた。

「いろいろ部品替えて速く走れるようにって練習して、13乗ってる毅さんかっこ良かったし、私をいろんなところに連れてってくれて、思い出がいっぱいなのに……なんでそんな薄情なことができるんですか!」

 中里と別れた時に言った台詞を、また言っていた。泣きながら。EG6のシートに顔を伏せて、声が出てしまうのを抑えた。慎吾が「やめてくれよ」と彼女をシートから剥がす。
 あのR32に乗っていた女の人は、今世界で一番幸せな人間で、この狭いEG6の内装に埋もれ泣く私は世界で一番不幸な人間だと、感じた。





 ホテルでこれから別れるとわかっている女と過ごした。お互いを慰めるつもりが、こっちが虚無感を味わうはめになり、彼女はむしろ楽しんでいたようで、なんだか拍子抜けした。
 衣服を着た俺たちは車に乗り込み、彼女を自宅近くまで送った。ホテルから少しした所で赤いEG6にすれ違ったが、構う気分ではなかった。しかし今思い返すとEG6の車内には運転手しかいなかったが、慎吾は一人で何をしていたのだろうか。

 中里は軽くなった32で妙義の山を駆け上ると、上の駐車場には無人のS13が置いてあり、冷たい外気に冷やされていた。車内に置き去りにされていた女物のマフラーを見ずとも、この車が彼女のものだということが彼にはすぐわかった。それに期待している自分がとても後ろめたかった。その気持ちの中にも僅かに罪悪感があり、今の気持ちで彼女に会えたなら、あの時のことを謝りたいと思った。しかしそれを現実にできるだけの勇気や優しさを、持っていないかもしれない。
 彼にそんなことを悩む時間を与えているかのように、この寒い中、車だけがそこにあり、オーナーは姿を現さなかった。さすがに冷えた身体を温めようとエンジンをかけてヒーターのスイッチを入れた時だった。誰かが勢いよく山頂まで登ってきて、駐車場に入ってきた。赤いEG6だった。

「よお毅、お前さっき麓のラブホにいたろ」
「お前こそ何してた」

 慎吾は車から降りるなり、捨ててきた過去のことを問い掛ける。少し胸が騒つく。

「そのS13に乗ってる奴を慰めてたんだよ」

 それを聞いて中里はEG6に駆け寄った。まさかが慎吾なんかと。想像しようとしても想像できないほどの衝撃だった。

!」
「ご無沙汰してます」

 彼は久しぶりに彼女の名前を呼んだ。助手席のドアを開けるとグローブボックスの下で丸まっていた彼女だったが、観念したと言うようにのっそりとそこから出てきて彼のことを見上げる。中里の中で思い出だった彼女の表情が、この暗い夜の中に、色を取り戻していく。

「お前あの男と」
「さっきエッチしてきました」

 中里は頭が痛かった。そんな彼の脇をすり抜けるように、少しむすっとした顔になった彼女は車内から出ると慎吾のところへ走って行った。それから彼の腕に自身の腕を絡ませ、中里の方を見やる。
 別に慎吾とは恋人になった訳でもなければホテルにチェックインすらしてない。それどころか彼女は中里を目の前にして、彼と離れてから一人でひたすらに積もらせた愛が崩れてしまいそうだった。名前を呼んで助手席のドアを開けた時の彼の表情に自分の知っている彼を見付けて、嬉しさに涙が溢れそうになる。それなのに、は中里と別れた後の気持ちの行き場の無さを経験しただけに、ムキになってしまう。

「俺はお前の為に惨めな思いまでして女と別れてきたって言うのに」

 中里のその言葉には混乱した。別れてきた、しかもお前の為とは、どういうことなのか事態が掴めない。それでも彼は私以外の女といる時、私を忘れていたのだ。

「でも他の人と付き合ってたんでしょう!私はずっと、いつも毅さんを想ってたのに!どうしてずっと毅さんは偉そうに言うの!」

 彼女は泣いていた。泣きながらそう言って、鞄から鍵を取り出すと冷たいS13に乗り込んで素早くエンジンをかけるとスキール音を立てながら駐車場から出て行った。
 中里もその後を追う為に愛車へ走ったが慎吾がそれを制した。中里は苛立った。

「なんで止めるんだよ」
「お前が行っても余計に辛いだけだろ。わかんねーのかよ」
「そこに漬け込んだのはお前だろ!」
「ほんと偉そうな奴だな。お前があの子をああしたんだろ」

 言われてみればそうだ。彼女の為に恋人をフッてきた訳だったが、彼女にとってみればどれだけ都合の良い話か。気になった時だけ側に置いておいて、邪魔になったら突き放す。

「それに何もしてねえし。あの子はああ言ってたけど、きっとお前にも同じ気持ちを味わってほしかったんだろ」

 疑うならホテルでチェックインの履歴聞いてきな、と言って慎吾は煙草に火をつけた。「18になってすぐに免許とって、お前と張り合えるようになる為に練習してたらしいぞ」と、くわえ煙草にもごもごと話す。
 山で走るにS13なんて腐るほどいる。毎晩必ず1台は見掛けるが、その中に彼女もいたのかもしれない。もしギャラリーに彼女が混ざっていて、運悪く恋人とキスなんてしてるところを見られていたらと考えると、たまったもんじゃないと、中里は胸が苦しかった。





 どこまでも続くような暗い空から、はらりはらりと雪が舞い降りてくる。は動かなくなった車の側によりかかり、寒さに体を震わせながら、馬鹿らしい今までの人生を振り返っていた。とりわけ、青春と呼ばれる時期を。
 冷たくなった愛車。もとより車とは冷たい鉄の塊だ。暖かくなるのはエンジンに火がともった時のみ。それでもはその冷たさはただの冷たさではないとわかっていた。そのことに涙が出るのか、あまりにもくだらない青春の縋りに涙しているのかはわからなかった。

、大丈夫か」

 彼の車の音が近付いてきているのはわかっていた。

「ほら、初雪。どうせもう走れない」
「いろいろ、悪かった」

 中里はぐしゃぐしゃになった彼女のS13に触れた。彼女は先ほどよりもわんわんと泣き始め、それを聞いて中里はを抱き締めた。懐かしい彼女の香りと感触に、彼も感情が溢れそうだった。

「こんな形で車を手放すなんて馬鹿みたい」
「俺よりマシだ。これで車の限界がわかっただろ」
「限界、か……」

 自分たちの関係は、あの時が限界だった訳じゃない。ただ俺が、甘えてただけだ。車を乗り換えるってだけでだだこねる子供みたいに泣くを許せなかった。車が違ったって、俺についてきてくれるはずだと思っていたから、その反応に裏切られたように思えて。でもその時の俺は、ついてきてくれなんて情けないことは言えなくて、本当は淋しさがあったにも関わらず、きつい言葉で突き放した。
 徐々に、の中の冷たさが解けていく。





 初めての事故でその後の処理をどうすればいいなんては知らなかった。中里は慣れたようにレッカーを呼んでいた。こうして一人でガードレールやコンクリートにぶつかることは、彼も走り屋なのだから何度か経験していることだろう。
 しばらくしてレッカーがきて、ボロボロになったのS13は荷台に引きずられるように乗せられた。こうなると、本当に鉄とゴムの塊だなと痛感させられた。それと同時に、こんなものに縋って折れてしまった中里との愛に、恥ずかしくなる。彼も同じことを感じているのだろうかと、は考えを巡らせる。

「どこまで送ればいい」
「いつものところで大丈夫です」

 いつものところ。それは二人が恋仲だった時、いつもお別れする場所だった、の家の近くの本屋の駐車場。待ち合わせもここだった。毎週金曜日、中里は定時で仕事をあがると家でシャワーを浴びてからこの本屋に来るのだった。彼はが待ち合わせ場所に先に来ていてもいなくても、店内で車雑誌を立ち読みしていた。そんな中里から香る石鹸の香りとすこし湿った髪が、は好きだった。

「これからどうするんだ」
「もう車はいいです。少しくらい私も払ったけど、親に買ってもらったも同然だから申し訳ないし」

 大学へは電車で行けばいい。こうやって夜に一人で出掛けるのも、毅さんと一緒にいた時みたいで楽しかったけど、やっぱり私は助手席専門だなあっていつも思ってたから。私、大学行ってから結構男の子に声かけられたりしてモテモテだったんですよ。でもずっと彼氏がいるからって断ってました。当に別れたのに彼氏って言い続けるなんて気持ち悪いでしょう私。今日だって毅さんに会いたくて妙義に来た訳ですし。ストーカーみたいですね。
 彼女は「ははっ」と寂しく笑った。そして静かに泣いた。

「きっと毅さん、私のこともう一度好きになってる。さっき抱き締められた時、すごくそう感じたの」
「助かるな。言う手間が省けた」
「でも私怖いんです。また毅さんと別れることを考えたら、もうこれきりにした方がいっそのこと楽なんじゃないかって」

 車は本屋に着いた。歩道の段差を越えるのに、硬いサスペンションが唸る。
 泣いている場合じゃない。嗚咽や腫れた目元を落ち着けるのは家に入る前にすればいい。早くこの車内から出て行かないと、またどんどん彼の中に入りたくなってしまう。はドアノブに手をかけた。ほとんど勢いでドアノブを引くと、暖房で温まった車内に冷たい冬の空気が滑り込む。その冷たさはじんじんと熱っぽく痛む目元や鼻先を心地良くかすめた。
 はアスファルトにブーツの踵を降ろす。中里は彼女の肩をそっと捕まえた。

「毎月第3金曜日に雑誌が出るんだ。つっても雑誌買うくらいならガス代に使いてえから買わねえけど」

 その雑誌が何のことか、は知っている。妙義に行く週末、彼が立ち読みしていた雑誌だ。でも発売日なんて気にしたことがなかった。

「悪いな。俺にはこんな言い方しかできない」

 それで十分だとは思った。これくらいの方が、かさついたお互いの心に丁度良い。いきなり飛ばすと、今日のように事故を起こしてしまいそうだ。
 今も定時5時半なんですか。そう問うた声は、自分でも少しびっくりするくらい落ち着いた声だった。

「ああ、勤続5年目だ。大学の浮かれ野郎に話し掛けられたら彼氏がいるって明言しろよ」



 そんなことがあったのが昨年の12月号が発売された時のことで、は今日店頭に並べられたばかりの12月号を立ち読みしている中里の隣でファッション雑誌を読んでいた。
 いつも中里は静かに読んでいたが、突然の小脇を肘で突いた。彼女が彼の方に顔を向けると、読者投稿のページだった。カラー刷りではないけれど、そこに印刷されている写真に写る濃い色のR32は紛れもなく中里の愛車だった。

「お前こんな恥ずかしい手紙送ったのか」
「ただ彼と仲良く読ませてもらってますって書いただけです。ある意味この雑誌のお陰で私たちはヨリを戻せたんですから」

 感謝しないといけないと思って、とは微笑んだ。見る奴が見れば俺ってわかっちまうだろ、と中里はごねていた。もう全国の書店に並べられているのだから、今更うめいても仕方がないのだが。
 その夜、妙義山へ行くと中里は多くの人間にからかわれた。


おわり


title:くべる photo:水珠