世界を守ったりするのはもううんざり



 ルパンたちがアジトとしている町外れの平野にある古い家にの前に、一台のオートバイが止まった。白、紫、そして緑のそのカラーリング。黒い皮つなぎを着たライダーはヘルメットを脱ぐと髪を指で梳かし、ミラーにヘルメットをかけ、家の方へと歩いてくる。不二子よりもずっと線の細い女だった。
 女が玄関のドアを叩くと、ルパンは躊躇なくドアを開け、笑顔で迎えた。

「私が何者かわかっているようですね」
「とっつぁんと同じ匂いがするからな。しかし最近とんと見掛けねえな」

 彼女は一応、と言いながらICPOから支給されている手帳をルパンに見せた。と名前が明記されている。ルパンが次元にコーヒーを淹れるようにとリビングに口を向け、を家の中へと招いた。

「ICOPとしても恥ずかしいことなのですが、今回は助けて頂きたく、こちらに伺いました」

 湯気を上げながらテーブルに置かれたコーヒーには見向きもせず、はジャケットのポケットから新聞の切り抜きを取り出して見せた。そこには『小惑星探査機 サンプル持ち帰る』という見出しで記事が書かれていた。ルパンたちもそのニュースはしばらく前に聞いたことのある話題だった。

「先ほど貴方も銭形さんを最近見掛けないとおっしゃっていましたが、彼は3週間前にこのサンプルの解析を行っている研究所に出向いたきり、帰ってこないのです」
「でもこれは政府公認の事業だったんだろ?」
「それだからこそ、なぜこちらに情報が来ないのかがわからないのです。それで、私たちとしては機関の間で溝を作りたくないのもありまして」
「俺たち盗人に働いてもらおうって訳か。まあ銭形のやつに仮がねえ訳じゃない」
「受けるのか、この話」
「銭形の野郎を救出とは、まあ色気も糞もねえ話だな」
「やってくれますか」

 言葉を発し始めた他の二人には目配せし、それからルパンを見た。ルパンは静かに頷き、彼女に右手を差し出した。彼女はグローブ越しに彼と契約の握手を交わす。

「申し遅れましたが、こちらから監督役として私も参加させて頂きます」

 ルパンは彼女をバイクのところまで見送りに行き、彼女がヘルメットをかぶる仕種を見ていた。

「監督役とか偉そうなこと言ってたけどよ、あんたICPOから干されてんじゃねえか?」
「確かに単細胞かもしれない」

 バイクにまたがった彼女はヘルメットのシールドを上げ、ルパンに少しきつい視線を向けた。ルパンがくすくすと笑っているからだ。

「ほら当たった。銭形と同じ匂いがするって言ったろ」





 下手な闇組織や博物館よりも厳重なセキュリティに守られた研究所には太刀打ちできなかった。たんなる宇宙開発の研究所と思って行ったのも悪かったが、警備というよりも衛生面などに気を使っているようで、部屋と部屋の間には必ず洗浄ルームがあり、どれもこれも潜水艦の扉のような分厚い扉で区切られていた。
 アジトに帰ると既にはそこに着いていた。ルパンたちを乗せた車が家の前の道を走ってくると、彼女はヘルメットを脱いでバイクから降りた。

「骨が折れますね」
「でもとっつぁんのいる場所はだいたいわかったぜ」

 ま、一服しながら考えようや。ルパンは既にくわえていた火の尽きそうなタバコを玄関先に落として足で踏みにじる。も後に続いて玄関をくぐった。一味の一番最後に。土足で部屋に上がれるというのが、脱ぎ履きするのに何かと面倒が多いライディングブーツを履いている彼女にはありがたかった。

「ミルクとお砂糖もお願いします」
「へいへい」
「拙者は自分で茶を淹れる」
「やっぱり石川さんの煎茶を頂きます」
「御意」
「なんだよ」

 彼らはコーヒーにミルクや砂糖を入れないものだから、キッチンの戸棚のどこかにあったはずのそれらを探していた次元がうめき声を上げた。は少し謝罪をして、硬いジャケットを脱いだ。かけておく場所を探したが見当たらず、リビングソファと別のダイニングテーブルと対になった椅子の背もたれにかけ、ヘルメットやグローブは座面の上に置いた。そうすると厚い日本茶の注がれた肉厚な湯のみを五右ェ門に差し出される。

「そなたは女子であるが、なぜあのような危険な乗り物にのるのだ」
「危険かどうかは乗り手が決めることだと思うんです」

 確かに、親しい人ではなくとも、ICPOに入る前に務めていた日本の警察でも交通機動隊の隊員が事故をしてそれなりの結果になったというのを、時折耳にした。
 それでもなぜ自分がこの乗り物に魅せられているのかはわからない。気付いた時にはもうこうなっていた。ただ、自意識過剰かもしれないが、初めて二輪に乗ったとき、自分の中になにかがあると感じた。それがセンスというものなのかはわからない。そこにはっきりと気付かないまま、今までこうしてバイクに魅せられ、バイクに跨って走るより、自分の足で歩くほうが大儀だと思えてしまうほどになってしまった。

「足手まといになっていなければいいのですが」

 今日、五右ェ門とは共に行動した。研究所でどんぱちをやるつもりはなかったが、彼女の武器が拳銃のみのため、刀の扱える五右ェ門がいたほうがなにかと安心だろうというルパンの意見だった。はじめこそ五右ェ門はに遠慮していたが、警官ということもあり、普通の女性に対するような緊張感はないようだった。

「なに、申し分ない」
「よかった。警察なんて貴方たちにしてみれば素人みたいなものだから」
「お二人さん、いちゃついてないで俺の話聞けっての」

 いちゃついてませんよ、とは少しむっとした。五右ェ門ははっとした。緊張感はないものの、妙に安心させられていた。ルパンの方へ歩み寄る彼女の後姿は、ジャケットを着ている時の角張ったシルエットではなく、女性らしいやわらかい線。それをぼうっと見据えながら、熱い茶をすする。

「今日は下見みたいなもんだけど、まあ悔しいわな」
「さっき居場所の検討がついたって言ってましたけど」

 ルパンはいつ用意したのかわからない研究所の施設地図を取り出して、今回捜索したルートを示した。円形の施設に潜入した彼らは、ルパンと次元が左回り、五右ェ門とが右回りで施設を捜索した。

「お前らはこっちから来たからわかんねえと思うけど、こっちには一箇所だけ妙なところが」

 ルパンは地図上でその場所に指差した。ルパンが言うには、他の作業員が着ている白衣の上から防護服まではいかなくてもそれらしいものを着た人間が出入りする部屋があったらしい。今回彼らは白衣しか用意していなかったため、その部屋には入られなかった。地図で見るとその部屋は大して広さもなく、特別な機器が置かれている訳でもないらしい。
 彼らはそれについて話し合い、時を見てまた研究所を訪れることにした。は五右ェ門の淹れた煎茶を飲み干すと席を立った。正直、今日は疲れてすぐに家に帰って眠ってしまいたいところだったが、彼女はバイクにまたがるとそんな気もどこかへいってしまった。もう少し、日が暮れるまで、当てもなく走ろうと思った。





「長官、つかぬことをお聞きしても良いでしょうか」
「なんだね」
「銭形警部をこちらで拘束しているということはありませんよね」

 はICPOへ報告に来ていた。長官は彼女の言葉を聞くなり、何を言っているんだね君は、と嘲るような言い方で彼女を見下ろす。

「君は一体何を考えておるんだ。ICPOとしてのプライドはないのかね。あの奇抜な色合わせのバイクに乗る為に給料を貰いたいだけなら普通の会社に勤めればいい話だろう」
「私は組織に対して損害を与えた覚えはありません。なぜそこまで毛嫌いされなければいけないのですか」
「もう帰りたまえ。説教をする暇などないのだ。それこそ損害だ」

 それほど傷付いたりはしていない。普段から上の人間には冷たい対応を取られていたから。どうしてそうなるのかは今ではもう永遠の謎だったが、解明しても仕方のないことは、この世にはたくさんある。例えばカワサキのバイクはどうしてオイルが漏れるのかとか。
 気が付いたらルパンのアジトには来ていた。人はどうして甘えてしまうのだろう。彼らは彼女のことを受け入れてくれた。優しい場所に、人は足を運んでしまう。

「行きましょう」

 玄関から顔を覗かせて彼女はルパンに言った。ルパンは特にすることもなかったかのようでトランプを手に持っていた。

「支度するから上がって待ってな」
「今すぐ行きたいんです」

 そう言う彼女の表情を今一度ルパンは見て、立ち上がると何も言わずに彼女の方へ歩み寄った。ルパンの表情が少し硬くて、はたじろぐ。

「なんかあったろ」

 ヘルメット越しにルパンはを見据える。彼女は今の心情を言おうか言わまいか迷っていた。言ったところでどうにもならないのだ。どうするかは全て自分次第。強くなるのも、甘えるのも、自分が決めること。例え甘えても、いつかは必ず強くならなければならないのだ。だから甘えれば甘えるだけ、強くなる為の段は増えていく。

「どこかわからない所まで走るか、誰かの側にいたい気分」

 ああ、甘えてしまった。は打ち明けた開放感と同時に自己嫌悪に陥った。しかしルパンの声は反対に明るかった。

「次元、ポーカーはやめだ。五右ェ門はちゃんの後ろに乗せてもらえ」
「なぜ拙者が」
「今回お前らペアだって言ったろ」
「なんか、すみません」

 そう言ったは無表情で、スタスタとこちらに歩いてきた五右ェ門を見ると足早に玄関を出てバイクに跨りエンジンを始動した。エンジンを切ってから然程時間が経っていない為、まだ十分に暖かいオイルにピストンが滞りなく回る。
 グローブのベルトを締め直していると五右ェ門が「よいか」と声をかける。は頷いて、タンデムシートをポンポンと手の平で叩いた。着物という薄着でそこに跨る五右ェ門。流石に遠慮してグラブバーを掴んでいる。彼女はその手を自分の腹部に導いた。

「抱き締めるようにして下さい。危ない乗り物ですから」

 そう言った彼女の表情はヘルメットに覆われて隠れている。ミラーにも映り込んでいなかった。少し力を入れて彼女の腹部を掴んだ五右ェ門は、彼女の肉の触感ではなく、ジャケットの硬い触感に安堵した。彼がしっかりと掴まるのを感じたはギアを1速に蹴り入れ、クラッチレバーを離した。





 研究所近くの道路の路肩にのバイクがハザードを点灯して止まった。後ろに五右ェ門を乗せて重くなった車体は少し傾くが、彼女はそれをなんともないように右脚一本で支える。彼女はシールドを上げ、少し困った表情でミラー越しに五右ェ門をみやる。彼女の中でのもやもやとしたものはここへ車での道のどこかへ忘れてきてしまったようだ。

「急に来てしまいましたけど、どうしましょう」
「心配ござらん」

 ルパン等は当に、と彼が言いかけた時だった。研究所から僅かな騒ぎの声が。五右ェ門はそれに全ての感覚を澄ませているようだった。もそれに気づかないことはなく、同じように研究所の様子を伺っていた。
 すると、彼女は腰の辺りで何かが震えるのを感じた。エンジンの震動とも違う何か。五右ェ門が少し体を離すと、その振動もなくなり、「行くぞ」と声がした。その震動はルパンからの合図だった。アイドリングの1500回転からタコメータは一気に8000回転を指し、少し荒っぽくバイクは走り出した。



 防護服を着てその部屋に入ると、一見すればそこは医務室のようなものだった。医務室と言っても専門機関のそれ相応の施設。しかしその中でも透明なパネルに隔離された部屋に、いつもよりも清潔になった状態の銭形が横たえていた。
 ルパンと次元はお互いに目配せさせた。他の防護服を着た職員は点滴を変えたり、なにやら検査をしているようだった。ルパンは他の職員が隔離部屋に入る時に触っていたテンキーのセキュリティコードを盗み見ていて、同じコードをそこに打ち込んだ。それがいけなかった。扉は開かず、警告音がする。

「セキュリティコードは名札に書いてあるだろ」
「そうだった。なんか朝から調子悪くてよ」
「しっかりしろよ。もしかして宇宙細菌に感染したのか?」

 ルパンが紛れ込んでいるとも知らない職員の男は彼に語りかけた。セキュリティコードは名札に書いてある数字と一致しているらしい。しかし彼の付けている名札はデタラメのものだった。
 それよりも宇宙細菌という言葉が気になった。どうやら何も知らずに研究所の偵察によこされた銭形は宇宙細菌とやらに感染し、ここに何週間も隔離されているというのか。非現実的な話だった。宇宙とは、どこか神や空想の世界と同じようなものを感じる。

「栄養ドリンクでよけりゃそこの冷蔵庫に俺のが入ってる」

 男はそう言って医務室内にある冷蔵庫を指差した。そこを開ければ言われたとおり栄養ドリンクが入っていたが、他にもラップで密封されたルーペやら試験管などが入っていた。銭形のとも思わしい血液やリンパ液までもが入っている。
 少し気味悪くなりながらも栄養ドリンクのアルミキャップをパキン、と捻った時、今度は先ほどの警告音ではなく、完全なるブザー音。どこかで次元が先ほどのルパンと同じ失態をしたらしい。ルパンは開けただけの栄養ドリンクを再び冷蔵庫に戻した。

「何事だ?」
「知らねえよ、それより検体の安全を」

 若干混乱したような男をルパンはそそのかし、彼が自らのセキュリティコードを打ち込んで扉が開いたのに続いて隔離部屋に侵入した。近くで見た銭形はただ眠っているようだった。

「ルパン!」

 次元の声がして、ルパンは振り向いた。周りの職員が「ルパンだと?」とどよめいている。そして聞き覚えのあるどら声も。もう一度ルパンが振り返ると、そこでは元気そうな顔をした銭形が目を開けて上半身を起こしていた。彼が動いたことによって引っ張られたらしい点滴棒が倒れて音を立てた。

「るぱあああん!」
「とっつぁん元気か?こんなとこで何週間も寝てたんじゃ逆に体が鈍っちまったろ」

 銭形はルパンに言われた通り、しばらく動かしていなかった体は思うように動かないらしく、ベッドから降りたところで立ちくらみを起こしたかのようにくたりと床にしゃがみこんでしまった。ルパンは煩わしい防護服を脱ぐと、銭形を抱かかえ、何人かの職員に取り押さえられそうになっている次元に呼びかけた。

「退散だ!ちゃんと五右ェ門に連絡とってくれ!」

 次元はルパンから発信機を投げ渡されるとそのボタンを押した。可憐な少女を抱くようにルパンに抱えられた銭形はの名前を聞いて目を白黒させている。「がいるのか!?」と、唾を飛ばしながらルパンに問う様子からは口だけは元気だということがわかる。



「お主たち、どこにおるのだ。早くせねばこちらも持たぬぞ!」
『どこもかしこも分厚い扉ばっかりでかなわねえや』

 を組み敷いている警官を投げ飛ばした五右ェ門は焦りながら小さな発信機に向かって怒鳴った。
 研究所の庭では停車したバイクを中心として、と五右ェ門、そして警備員と警官隊の円ができていた。お互いに拳銃を使うことができず、体と体での応戦だった。はもうすこし空手や柔道の稽古をしっかりしておけばよかったと後悔していた。時折警官に投げ飛ばされては息が止まりそうになったが、プロテクターの入ったジャケットのお陰でそれほど負傷はしていなかった。
 そして先ほどのように時折五右ェ門に助けられる。礼を言う暇もなく、拘束しようと必死な警官たちの相手をする。今晩は体中が痛くて寝られないだろうと思った。

「石川さん!もう埒が明きません!乗って下さい!」

 は背後から捕まえにかかる警官を蹴り飛ばし、急いだ様子でバイクに乗り込むと地面の芝生を削り取るようにアクセルターンして五右ェ門の横につけると彼を急かす。五右ェ門も相当疲労がきているようで、返事もせず飛び乗った。
 初速度から急に加速しながら迫力のある音をマフラーから吐き出すそれに警官たちはたじろいだ。そうして自然と生まれた道にはバイクを滑り込ませ、その場を駆け抜けた。

「その刀、なんでも斬れるんですよね」
「こんにゃく以外はな」
「では、この建物を斬って下さい」

 彼女はそう言うと円形の研究所の外壁すれすれまで近付いて一定の距離を保ったまま走り出した。五右ェ門は彼女の言わんとしていることを理解し、鞘から斬鉄剣を抜くとコンクリートの外壁に刃を立てた。一瞬ものすごい音がして、五右ェ門は斬鉄剣をコンクリートの塊に持っていかれそうになる強い力を感じ、疲労した腕で柄を握った。耐えて下さい、との激励の声が風の中で聞こえる。
  しばらくすると、最初と最後の切り口が一緒になり、ドーム型の建物は輪切りになった。彼らのいるところから反対側へと上部がずるりと崩れていく。は「えらいことしちゃった」と呟き、少し青ざめていた。そんな彼女を見て微笑む五右ェ門。今、拙者は笑ったのか。後で気付かされて彼はドキリとした。




 研究所内から人が、そして外からは救助の人が。五右ェ門とは少し離れたところでその様子を見ていた。

「ここに銭形さんがいてよかった。私、上の人に嫌われてるので、嫌がらせかとも思ったんですけど、案外頼られてるのかななんて過信しそうです」
「ああ。なかなかの受け身だった」
「受け身を褒められても嬉しくありません。でも今となってはこんな大惨事になってしまいましたし」

 負傷者が出ていなければいいと思った。彼女ひとりでしたことではなかったが、国家が関わるような、つまり巨額の資金が掛かっている建物を破壊してしまった。こんなことをすれば、嫌われている云々など関係ない。解雇は免れないだろうとは思った。

「もし私がICPOを解雇された時は雇ってくれますか?」

 汚れた顔で困ったように微笑む彼女に五右ェ門はまたもやどきりとした。彼女のその言葉はどこまでの意味を含んでいるのかと詮索する自分が卑しく思えて、どう返事をすればいいのか彼はしばらく考えた。
 そうしているうちに、前方から銭形の肩を抱いて駆けてくるルパンと次元の姿を見つけたが「銭形警部!」と声を張った。返事をできなかったことに彼女が不快な思いをしていないか五右ェ門は気が気ではなかった。
 しかし今はそんな個人的なことを気にしている時ではなく、彼女はまた慌ただしくヘルメットをかぶるとバイクに跨り、銭形を後部に乗せ、どこからか取り出したベルトで銭形と自分を縛り付けていた。彼が落ちないようにする為だろう。五右ェ門もルパンに急かされてその場から退散した。



 あれから数日後、銭形とはICPO長官の部屋に来ていた。は少し渋い顔をしていて、銭形は少々怒っているようだった。

「長官、彼女は確かに我輩を救出したのですぞ!」
「そんなことはわかっている。しかし研究所を破壊するくらいならこちらから正式に伺う方がまだマシだった」

 今では新聞やテレビのトップニュースの話題は破壊された研究所のことだった。銭形が隔離されていた理由が明かされなかったのは、宇宙細菌があると分かれば市民が混乱に陥るのを恐れての隠蔽というごく単純なことだった。
 未だそこのとはニュースで取り上げられておらず、政府はきっちりと隠しているようだった。幸い、分厚い外壁もろとも壊れてしまって無防備になった研究所から放散された宇宙細菌は確認されていない。もしかしたらただの勘違いで、銭形は普段からルパンを血眼で探している疲れが出ていただけなのかもしれない。とにかく、とんだ任務だった。

「こちらから誰か責任を取るものを出さねば示しがつかんのだよ」
「しかし長官!」
「いいんです銭形警部」

 ずっと無言で二人のやり取りを聞いていたが口を開いた。静かに銭形を制して、長官の方を見た。やけに素直な彼女に長官は驚いているようだったが、本人が納得しているのなら手間が省けると言いたげだった。

「一応日本の警視庁に君のことを連絡したらいつでも戻ってきて良いとのことだ」

 は長官に礼を言うとポケットから手帳を取り出し、重厚感のある長官のデスクの上に置いた。あまり使い込んだ雰囲気はない。
 解雇を宣告されずとも、彼女はICPOを辞めようと思っていた。だから今回のようなことが起きて、解雇だけでなく移転先まで連絡を回していてくれるのは、今までの長官からの当たり方を考えるととても丁重な扱いだった。に対する長官の普段の態度を知らない銭形は今の状況でもきつく当たっていると見えるのだろう。手帳を置いて部屋を出て行った彼女に「おい」と声をかけた後、まだ長官に物言いをしている。
 部屋の扉を閉じて、彼女は考えた。長官や他の幹部が自分を嫌悪することに、思い当たる節がないわけではない。でもそれはもう済んだ話だと、は思いながら、帰国の準備をした。


20141225 完 / くべる