「好きな子が、できたんだ」

 毅はそう言った。ほとんど真顔で。
 そりゃそうだと思う。こんなことをヘラヘラと言われたら、私に対する気持ちや、私の存在まで軽んじられているようで頭に血が上ったかもしれない。
 でも私は、よっぽどかそっちの方がよかったかもしれないと思った。
 毅の真面目な態度に呆気にとられ、自分の戸惑いや不安の感情が下腹部から喉のあたりまでズズっと上がってくる不快感を覚えるだけで、言葉が出ない。私はまだ、目の前にいる人の顔を愛おしいとしか思えない。

「悪いとは思ってる」
「隠されて浮気されるよりいいよー。あ、でもその場合の浮気相手って私になるのかな、本命はその子な訳だし」

 放心している私の様子に堪りかねた毅が謝る。
 謝られたら、なんだか自分が毅にとっての厄介者のように思えて、これ以上の重荷を彼に与えたくないと、偽善が不安を踏み固めていく。最後くらい、いい人で終わりたい。でも、そんな強がりが、余計に彼を想う心にヒビを入れる。
 胸が痛い。苦しい。呼吸するだけで喉から血が出そうだ。

「ごめん」

 なんで謝るの?謝るくらいなら、他の子なんて見ないでよ。私以外見ないでよ。もっと私を見てよ。私の何がその子より劣っているの?それを教えてよ。
 寸でのところまで出かかっている言葉を必死に飲み込んでみたら、鉄の味がした。苦い。

 毅は私と別れたところで寂しくないだろう。だって、その『好きな子』とこれから恋仲になれるかもしれないのだから。いや、もう恋仲なのかもしれない。
 さっき毅は『浮気』という言葉に何の反応もしなかった。でも、もしかしたらその後に言った「ごめん」という言葉は浮気していたことに対する謝罪なのかもしれない。そうだとしたら、浮気に気付かなかった私にも落ち度はあるのだろうか。
 でもそんなことどうでもいい。もう終わってしまうのだ、私たちの関係は。

 最後に毅の体温と匂いを感じてしまえば、手放したくないと泣き叫んでしまうだろうと思った。だから、最後まで強がって、あっさりと別れようと思ったのに、目からぽろぽろと涙が溢れて、抑えきれない嗚咽が漏れる。
 毅が傍にきて、私の背中をさする。
 ああ、もうこの体温も感じられなくなるのだと、そう思うと余計に涙が溢れて、毅の手の圧が強くなる。
 もうやめて。もうやめて。もうやめて。
 まだ私に対してそんなに優しくできるなら、私を好きなままでいて。お願いだから。


滲むのは叫びか、願いか
20180627 7階